太陽・作

第 3 部

 

第5章 ブルーシャークの信条

 

登場人物紹介

二人は隠し通路がどことどこへ繋がっているのか詳しく調べて、正確な見取り図を作成していった。そして、後々のことを考えて武器や弾薬をところどころへ配置しておいた。

レジーは自分の身体が利くうちに、出来るだけのことをしてしまおうと決心していた。もう既に感覚が鈍ってきているのが分かるが、まだなんとかなる筈だ。どんな禁断症状なのかをジョルジュに詳しく聞くのを忘れたが、聞いたからと言って禁断症状から逃れる方法は見つかっていないのだから、どうしようもないだろう。禁断症状が出る前に『レイヴン』を調べられるだけ調べ、そしてできるならこの手で壊滅させたい。

この城で『ストーム』を作っているということと、そして、薬漬けにした人間を世間に送り出しているのも分かった。でも、まだそれだけだ。首領が誰だか分かっていないし、『ストーム』を作っているのがここだけなのかどうかも確認できていない。だから今この城だけを攻撃しても、『レイヴン』がどれだけの組織力を持っているのか把握していなければ、何度も同じことを繰り返すことになってしまう。この城の麻薬製造施設を破壊したり、薬漬けにされている人々を助けたりするのは、ラップ少将に連絡すれば後続部隊がやってくれるだろう。だからそれはどうしても自分がしなければならない仕事ではない。自分がしなければならないのは、『ブルーシャーク』の名に掛けて、『レイヴン』の組織の全体を把握し、そして陰で君臨する首領を見つけることだ。自分が万一倒れるなら『レイヴン』も必ず道連れにしてやる。それが『ブルーシャーク』の信条だから。

部屋に戻ったレジーは、早速行動を起こすべく、シルビィに向かって言った。
「シルビィ、例の服を。」
「はい、レジーさま。ただ今ご用意致します。こちらへどうぞ。」
レジーは着替えのためにシルビィと隣の部屋へ入っていった。しばらくして戻ったレジーを見てオスカルは呆気に取られた。
「何だ、その格好は。」
「格好良いだろう。忍び込むための定番かな。はははっ」
レジーは黒のシャツに黒の胴着、黒のキュロットとロングブーツと全身黒ずくめの衣装に、黒の長いマントを羽織っていた。そして、黒の仮面で目元を覆い、シルビィに剣帯のベルトをきつく締めて貰って、長剣を帯びた。
「さて、早速騒ぎを起こしてくるか。エミー、俺がここにいないことを知られないように頼む。オスカル、お前はまたドレスに着替えておけ。その格好を人に見られるなよ。シルビィ、すぐ着替えられるように準備しておいてくれ。」
「レジー、その格好はいいけれど、髪がそのままじゃ目立ちすぎだろう。何か被ったらどうだ。」
「いいのだ、これで。わざとやるのだから。じゃあ、ちょっと行ってくる。後は頼むぞ。」
オスカルの心配を他所に、レジーは笑顔でウインクするとまた鏡の後ろへ消えて行った。

レジーは真っ直ぐ地下1階へ向かうと、麻薬工場を目指した。その工場の奥に研究室のような一角があることに気付いていたため、騒ぎを起こす前にそこを調べるつもりだった。『ストーム』の成分の詳細が分かれば、もしかしたら中和剤のようなものが作れるかも知れないと考えたのだった。見張りの目を盗み、その研究室を覗き込むと、逃げられないように鎖で足を繋がれている初老の男がいた。その顔に、レジーは見覚えがあった。昨年から行方不明となっていたフランス人の医師で、薬学を専門としているマントノン医師だった。レジーは素早くその部屋に入ると、フランス語で話し掛けた。
「マントノン先生ですね。」
「君は?」
彼は突然入って来た見も知らぬ黒ずくめの男に、いきなり自分の名前を呼ばれてびっくりしていた。レジーは彼に大きな声を出さないように注意すると、自分がフランスの諜報機関の者であることを告げた。落ち着いた物言いで、彼を納得させると質問を始めた。

「『ストーム』は先生が作られた薬なのですか?」
「私は麻薬を作ろうとしていた訳ではなく、ただ鎮痛作用のある植物を研究していただけなのだ。その植物はただ煎じて飲むだけなら鎮痛作用しかないのだが、他のある植物と一緒に煎じると恐ろしい麻薬としての効果が現れるのだ。その煎じたものの純度を高め、精製して出来上がったものが『ストーム』と呼ばれている薬なのだ。」
「『ストーム』を中和させるものは、ないのでしょうか。」
「実は今それを研究中なのだ。あまりにもつらい禁断症状の為に、この薬を一度でも服用した者は自分の意志では止める事が出来ない。だから例外なく皆薬漬けになってしまう。そうなれば、後は廃人になるのを待つばかりなのだ。薬を絶つためのネックとなっている禁断症状を少しでも和らげることはできないかと『レイヴン』には内緒でこっそり研究しているのだが、まだ残念ながら実用には程遠く、試作段階でしかない。実際に人間で実験する訳にも行かないし、今の段階で果たしてどれほどの効果があるのか分からない。」
「では、その試作の薬を私に頂けますか?」
「これを君に?」
「私が使ってみます。」
「でもこれはどのような効果があるか、まるで分かっていないのだぞ。しかも、これには酷い副作用があるかも知れない。それに『ストーム』で中毒症状を起こしている人間でなければ飲んでも意味がないだろう。」
「いいのです。残念ながら私も知らないうちに飲まされていまして、間もなく禁断症状が現れる頃なのです。ですから、効き目がどうであろうと、どのような副作用でも、使ってみる価値はあるのです。」
「そうか、分かった。ではこれを。」
マントノン医師は紙に包まれた粉薬を数個レジーに手渡した。
「禁断症状が現れている時に飲んでくれ。うまく効いてくれるといいのだが。」

「ところで、先生は『レイヴン』の首領が誰だかご存知ですか?」
「首領か・・・。見張りの連中や組織の人間が首領と呼んでいるのは、執事のファーガスンだ。だが、良く見ていると彼が敬意を表している人間が一人だけいる。」
「誰ですか?」
「ときどきこの研究室にもくるのだが、ちょっと華奢で整った顔立ちの、長い黒髪の男だ。」
「長い黒髪の男?」
「そうだ。私の研究に手を加え、鎮痛剤を悪魔の薬に変えたのもその男だ。かなり薬学に詳しくて、私と同程度か、いや、私より上かも知れんな。」
「薬学に詳しくて、華奢で整った顔立ち?」
「そういえば、彼の声を聞いたことはないな。喋れない訳ではないと思うが。」
「声を聞いたことがない・・・。」
レジーは頭の中でパズルのピースを当てはめて行った。そして、ある答えが浮かんだ。

確か、そうだった筈・・・。
これからそれを確かめなくては――。

レジーはマントノン医師に礼を言うと、助けにくるまでもう少しこのまま待ってくれるように頼んだ。マントノン医師はレジーの身を案じながら、それまでここで薬の研究を続けていると笑って言ってくれた。

レジーは、研究室を出ると、麻薬工場の製造設備の前に立ち、それを足で音高く蹴飛ばした。その派手な物音に当然見張りが飛んできた。
「誰だ!」
「侵入者だ、捕まえろ。」
レジーの前に数人が立ちはだかった。
「何者だ。」
レジーは悠然と笑うと言った。
「俺を知らないのか? 下っ端か潜りだな。」
「ふざけるな、この野郎。」
「貴様、ブルーシャークか。」
レジーはおもむろに長剣を抜きながら言った。
「そのとおり。」
「お前たち、こいつを捕まえたら褒賞金がたっぷりだ。」
「捕まえられるものなら、捕まえてみろ。」
「かかれ!」
殺気だった男たちは剣を抜くと一斉にレジーに襲い掛かった。レジーは信じられない速さで男たちの何本かの剣を受け止めた。そして、きらりとレジーの剣が一閃したと思うと、あっという間に全員がそこここをやられ、その場に転がった。
「それでは、ごきげんよう。首領によろしく。」
レジーは息一つ切らせずに余裕で一礼すると、マントをひらりと翻し、金の髪をこれ見よがしになびかせながら走り去って行った。
「畜生、逃がすな。誰かすぐ首領へ連絡しろ、急げ。」
腕だけをやられた男は、すぐさま立ち上がると慌てて連絡に走り、騒ぎを聞きつけて来た男たちが何人かレジーの後を追った。しかし、金の髪の男は跡形も無く消え失せていた。

トントン―
「失礼致します。」
「はい。」
エミーは一瞬驚いたが、平気な顔でドアを開けると、そこには執事のファーガスンが静かな面持ちで立っていた。
エミーは平静を装って尋ねた。
「どのようなご用件でしょうか?」
「ご主人様はご在室でございましょうか。お渡ししたいものがございまして、是非お取次ぎください。」
「伯爵はただ今午睡中でございます。ですので、今すぐにはお取次ぎ出来かねますが。」
「そうですか、それは残念です。でも、そこをなんとかお願いできませんか。私も城主に厳命されておりますし・・・」
執事は探るような目つきで、奥の部屋の様子を伺い、何とか部屋に入り込もうとしていた。
「いや、困ります。私が伯爵に叱られます。」
エミーと執事は押し問答を繰り返していた。
「何だ、エミー。うるさいな。」
隣の部屋からガウン姿のレジーが眠そうな顔で姿を現した。
レジーは、ファーガスンの顔に一瞬浮かんだ驚愕の表情を見逃さなかった。
「あっ、伯爵。申し訳ございません。あの何かお渡ししたいものがあるとお出でになったのですが。」
エミーは、内心ほっとしていたが、いったい何時の間に彼が戻って来たのか、まるで分からなかった。
「どうぞ。ああ、こんな格好で失礼する。午睡中だったものでね。」
レジーは、悠然と長椅子に座ると、ファーガスンに声を掛けた。
「これは、ロッシュ伯爵。お休み中のところを大変失礼致しました。城主よりの手紙をお持ちいたしました。ぜひお返事を伺ってくるように厳命されておりましたので、無粋をお許しください。」
レジーは座ったまま手紙を受け取ると早速封を開け、中を読んだ。
「スタンフォード伯爵夫人にお伝えください。喜んで出席させて頂きますと。」
「はい、そのように承りました。それでは、失礼致します。」
執事は、静かに部屋を後にした。

 

「で、どうだったの?」
彼女は鏡の前の椅子に座り、数人の侍女に豊かな黒髪の手入れをさせながら、執事のファーガスンに鏡越しで聞いた。
「ロッシュ伯爵は、ご在室でした。」
ファーガスンは、直立したまま静かに口を開いた。
「なんですって。では地下で暴れていった『ブルーシャーク』は彼ではないの?」
「その辺はまだ何とも・・・。見張りの話しですと、黒ずくめの服に黒マント、そして腰まで届く見事な黄金の髪。顔はマスクで隠されていたようですが、ロッシュ伯爵に大変良く似ていることは確かです。今この城にいる人間の中には思い当たる者は他にはおりません。但し、あの金髪がかつらだとすれば、話は違いますが。」
「そう。まあいいわ。地下にいるあの男に面通しをさせれば、すぐ分かることだから。それまであの男には、たっぷりと薬を与えておいて頂戴。私に逆らおうなんて考える気もなくなる位にね。」
「はい。」
「それにロッシュ伯爵自身にも、そろそろ禁断症状が表れてくる頃ね。」
「ナンシーの話しですと、通常よりもかなり濃いお茶を飲み続けたらしいので、もう間違いなく中毒です。」
「そう、楽しみだわ。『ストーム』の禁断症状に耐えられる人間は、この世にはいないわ。今まで薬漬けにしたすべての人間は私に平伏した。」
彼女は侍女に促され立ち上がると、湯浴みをするためにガウンを脱いだ。

「今後また『ブルーシャーク』が現れたらどのように致しましょうか。」
「そうね。地下の工場や研究室、それに薬品倉庫の見張りは増やしておくように。これ以上施設を壊されたら堪らないわ。でも『ブルーシャーク』には絶対に傷をつけないように捕まえるのよ。分かったわね。間もなく私のものになるのだから。」
「はい、お任せください。でも、なぜそこまで彼に拘るのですか。」
「なぜお前が知る必要があるの?」
「言葉が過ぎました、お許しください。」
彼女は、まるで彼がそこに存在しないかのように、平然と彼の目の前で最後の下着を脱ぎ捨て、侍女と浴室へ消えていった。ファーガスンは、彼女の裸身から視線を外したまま、椅子から滑り落ちた真っ白いガウンを拾い上げ、そのぬくもりを愛しむように頬を寄せ、胸に抱きしめた。

 

「見事な早業だな。いつ戻っていたのだ。全然気が付かなかった。」
執事が部屋から出て行ったのを確認すると、オスカルはレジーを振り返りながら聞いた。
「戻ったばかりさ、ガウンの下はこれだもの。」
レジーは立ち上がるとガウンを開いて見せた。ガウンの下は例の黒装束だった。
「あの手紙は、何だって?」
「今夜大規模な舞踏会を開くので、夫婦で出席して欲しいってさ。」
「舞踏会だって、私はまた派手なドレスか? もう、うんざりだな。」
「まあそう言うな、大規模な舞踏会ならちょうどいい。お前に一肌脱いで貰いたい。」
「何だ?」
「まあ待て、今説明する。」
レジーは3人を集めて、自分の考えを説明した。

「そういうことなら、今夜の支度も張り切ってできる。」
オスカルは満面の笑みを浮かべていた。
「それは楽しそうですね。」
「頼むぞ、オスカル。思う存分暴れてきてくれ。」
「やっと出番だ。任せて貰おう。」
「調子に乗って、やり過ぎないように。その前に一芝居打って貰わなくては。」
「ふふふ・・・。」



―つづく―


2003/2/14