太陽・作

第 3 部

 

第6章 舞 踏 会

 

登場人物紹介

大広間にて盛大な舞踏会が催された。レジーにエスコートされ、オスカルは紺のタフタに銀糸とビーズの刺繍で飾られた豪華なドレスで現れた。珍しく派手なかつらを被り、その上に羽飾りが揺らめいていた。

スタンフォード伯爵夫人は、鮮やかな緋色のドレスで、肩と胸元は大きく開いていた。きっちりと結い上げた豊かな黒髪にダイヤモンドのティアラが光る。真っ白の長手袋の上にはめられた大粒のアレクサンドライトの指輪が怪しい輝きを放っていた。

伯爵夫人はレジーとオスカルに向かってゆっくりと近づくと、オスカルに視線を向けた。二人の視線は一瞬ぶつかったが、オスカルは伯爵夫人の眼光の鋭さにそれ以上目を合わせるのを意識して避け、慌てて目を伏せた。その二人を目にした人々の口からは感嘆の声が洩れた。二人とも女性としてはかなりの長身で、しかも類まれなる美しさだった。そこに立っているだけでも人々の目を引いた。まったく雰囲気が違うようで、どこかが似ていた。オスカルは真冬の雪景色を照らす凛とした月のような涼やかさで、 スタンフォード伯爵夫人は、燃え盛る炎のような激しさだった。ちょうど二人が着ているドレスの色のように正反対の色合いではあるが、対応しているように。

レジーが夫人の手にくちづけ、型どおりの優雅な挨拶をした。スタンフォード伯爵夫人はオスカルに向かって微笑みながら言った。
「ロッシュ伯爵夫人、ご主人をお借りしてもよろしいかしら?」
「もちろんでございます、スタンフォード伯爵夫人。」
オスカルは目を伏せたまま礼を取ると、出来るだけ儚げな声で答えた。

スタンフォード伯爵夫人は差し出されたレジーの腕に捕まると、大広間の中央へ進んでいった。オスカルも差し伸べられたたくさんの手の中から一人の男の腕を取った。そして、伯爵夫人の合図で音楽が奏でられ舞踏会が始まった。

レジーは伯爵夫人と踊りながら時々オスカルを盗み見ていた。オスカルはオスカルで視線の隅で彼の姿を追っていた。

「ロッシュ伯爵、ダンスもとてもお上手なのね。歌にダンスに女性のハートを射止めるのがお得意なのかしら。」
「ダンスは大好きです。麗しのお方の手を握り、しかもこうして人前で堂々と抱くことができるのですから。ダンスを考えた御仁に感謝したいくらいです。」
伯爵夫人の背に回したレジーの手が、何かを確かめるかのようにそっと滑っていた。

そのとき、踊りの輪の中で悲鳴が上がった。踊っている最中に誰かが倒れたのだった。演奏も止み、人々の動きも止まった。
「どうなさったの?」
伯爵夫人が人々の輪の中を見ると、パートナーに抱きかかえられ、倒れているのは、オスカルだった。レジーは慌てて駆け寄り、抱き上げると部屋の隅にあった長椅子に下ろした。そして、オスカルの上半身を抱えて気付け薬を嗅がせた。
「う、ううん・・・。あ、あなた・・・?」
「オリヴィエ、大丈夫か?」
オスカルは頼りない風情でレジーを見つめ、小さく肯いた。レジーは城の召使に自分の従僕のエミーと妻の侍女であるシルビィを呼んでくれるように頼むと、スタンフォード伯爵夫人に対して詫びた。
「妻が失礼を致しました。すぐに部屋に下がらせますので。」
「お気になさらずに、どうぞお部屋でゆっくりお休みください。」
「大変無作法を致しました。申し訳ございませんが、これで失礼させて頂きます。」
オスカルもか細い声で伯爵夫人に詫びると、エミーとシルビィに支えられ、部屋に戻って行った。

大広間はまた音楽が奏でられ、何事もなかったかのように衣擦れの音や甲高い笑い声などに包まれて行った。そして、賑やかな踊りの輪が広がって行き、何時果てるともつかない喧騒に包まれた。


「ロッシュ伯爵、さすがに踊り疲れました。ここでは煩くてゆっくりお話しもできませんわ。私の私室へいらっしゃいません?」
スタンフォード伯爵夫人の誘いに、レジーは微笑むと頷いた。

「どうぞ、そちらへ。何か飲み物を運ばせますわ。何がよろしいかしら?」
「そうですね。では、シャンパンを頂きます。」
二人は長椅子に並んで座ると、シャンパンで乾杯した。
「あなたのその類まれなる美貌に、乾杯」
持ったグラスをテーブルに置こうとした時、二人の手がぶつかりシャンパンがこぼれ伯爵夫人の手袋をした手に掛かった。
「失礼!」
レジーは引っ込めようとした彼女の手を取り、素早く手袋を脱がせ、胸ポケットから自分のレースのハンカチを出すと優しく拭いてやった。
「熱い飲み物でなくて幸いでした。この美しいお手にやけどをさせてしまうところでした。」
レジーは瞬時に彼女の素手の指先を確認した。彼の予想通り、彼女の指には、通常の貴婦人の指には有り得ない、強い薬品によって出来た染みが存在した。

伯爵夫人は不敵な笑みを浮かべるとレジーに言った。
「それで私の指に何か興味を引くものがございまして、ロッシュ伯爵。いいえ、レジーヌ・フランセット・ド・フォーレ伯爵、それとも『ブルーシャーク』とお呼びしたほうがよろしいかしら?」
「以前にもそんな疑いを掛けられたことがありますが、私は『ブルーシャーク』ではありません。私と似ているらしいですが。」
レジーは全く動じず、悠然とシャンパンを飲んでいた。

「そうかしら? まあいいわ。ファーガスン!」
伯爵夫人が呼ぶと、ファーガスンが二人の屈強な男に支えられた足取りも覚束ないような男を連れて部屋に入ってきた。
「では、この男には見覚えはあるかしら?」
スタンフォード伯爵夫人は、自分では既に立つこともできず、呼吸さえも辛そうに項垂れたままのその男の顔をファーガスンに命じて上げさせた。
男は憔悴しきったジョルジュ(ブラックオルカ)だった。が、彼は目を開ける気力も無かったため、自分の前にいるのがレジーだと気がついていなかった。
(ジョルジュ!)
レジーは動揺を悟られないように平静を装って言った。
「さあ、知りません。その男がどうかしましたか?」
「そう、知らないの? ではこの男がどうなってもいい訳ね。この男の身体に聞いてもいいのよ。」
「例え知らない人間にでも、暴力を振るうところなど見たくはありません。」
「暴力なんて、そんな野蛮なこと必要ないのよ。」
スタンフォード伯爵夫人は、ジョルジュに近づくとストームの入った紙包みを彼の目の前でこれ見よがしに振りながら楽しそうに言った。
「ねえあなた。これは欲しくない?」
「く・・・、くすり・・・下さい・・・お願い・・・します」
ジョルジュは薄目を開けると、自分の目の前にある薬だけを見つめ、かさかさに乾いた唇から声を搾り出した。この苦しみから逃れるため、つまり薬を貰うためにはどんなことでもするつもりだった。
「そう、欲しいの。では、私の言うことを聞いて貰うわ。」
ジョルジュは、観念したように目を閉じると頷いた。もう自分にとって、これ以上失うものは何も無い筈だった。薬が欲しくて、レジーの情報を喋ってしまっていた。そのことが彼の心をずたずたに傷つけていた。

「では、目を開けて目の前の男をよく見て。」
ジョルジュがやっとの思いで目を開けると、そこに居たのは任務遂行中であろうレジーだった。彼の受けた衝撃は計り知れなかった。レジーならばどんなことがあっても自分を裏切ることはなかっただろう。そう、例え死んでも・・・。ジョルジュの諜報員としての最後のプライドが、レジーを見た瞬間も表情を変えさせなかった。レジーを全く知らない人間のように無表情に見据えたまま言った。
「この男は誰だ。」
「誰って、あなたの仲間の『ブルーシャーク』でしょう? 違うとは言わせないわよ。」
「こいつが・・・ブルーシャークだって?・・・お笑いだ。」
ジョルジュはありったけの気力を振り絞り、体中を襲う苦痛に歯を食い縛って耐え、答えた。
「本当のことを言わないと薬はやらないわ。」
「本当だ・・・こんな男は知らない・・・薬を・・・早く・・・く・・・苦しい・・・」
凄まじい苦しみようだった。あの真面目で我慢強かった彼がのた打ち回って苦しんでいる。眼前でそれを見せ付けられ、知らん振りを続けているレジーも地獄の苦しみを味わっていた。
(すまない、ジョルジュ・・・)
「かわいそうに、苦しいわね。ほら、あなたの大好きな薬よ。これを飲めば楽になれるわ。認めさえすればいくらでもあげるわ。簡単なことよ、ただ頷くだけでいいのよ。」
伯爵夫人は猫なで声で、天使のような笑顔を彼に向けて言った。

ジョルジュの耳に届くのは悪魔の囁きだった。このままでは、この苦しみに負けて頷いてしまう。そうなれば自分だけではなく、レジーも殺されてしまうだろう。

ジョルジュは地下牢から引きずり出されたときから握り締めていた手を、誰にも気付かれないようにそっと開いた。握り締めていた物は、こんなこともあろうかとレジーの指から抜き取った指輪だった。諜報員たちが万一のときの為に持っている、エメラルドの指輪。この指輪の数少ない使い道の一つを、彼は実行しようとしていた。

ジョルジュは後ろ手のまま、エメラルドの指輪の台座を開いた。そして、自分を支えていた男の手を振り解くと、全く躊躇せずその中に仕込んであった薬を飲み下した。
「あっ!」
「しまった!」
慌ててジョルジュを捕らえようとした男たちの前に、ジョルジュの身体は朽木のように崩れ落ちた。

レジーはジョルジュが何を飲んだか、もちろん知っていた。だから、もう彼を救う術も無いことも解っていた。
(ばかやろう・・・、ジョルジュの大ばかやろう)

「何を飲んだの? 早く吐かせて!」
伯爵夫人は、ファーガスンに命じたが、彼はジョルジュの呼吸を確かめると黙って首を横に振った。そして、ジョルジュの手から転がり落ちた指輪をハンケチで包むと拾い上げ、伯爵夫人に渡した。彼女は、指輪をじっくりと見ていた。

レジーは彼が命を賭けて守ってくれたものを無にしないために、内心の動揺を押し隠し、無表情のまま立ち上がると言った。
「そんな男がどうなろうと私には関係がありません。それでは私は失礼します。」
「ちょっと待って。彼はこの指輪を持っていなかった筈なの、以前彼が持っていた同じような仕掛けの指輪は私が取り上げたのだから。」
「それが、どうかしましたか?」
「この指輪は、ブルーシャークの持ち物ではないかしら?」
「では、ブルーシャークの持ち物だとしましょう。それでも私とは関係ないと思いますが。」
「そうかしら? 確かこの指輪はあなたがはめていた物だと覚えているのだけれど。」
「私が? 何かの間違いではないですか。」
「いいえ、私は宝飾の類には詳しいのよ。」

レジーは諦めたように、もう一度椅子に座りなおすと言った。
「いくら違うと言っても、信じては頂けないようですね。では、どうすれば私が『ブルーシャーク』ではないと信じて頂けるのですか?」
「そうね、あなたの目の前にブルーシャークが現れない限り無理かしら?」
「私の前にブルーシャークが? そんなばかなことがある訳がないでしょう。」
「そうね。土台無理な相談ね。本人なのだから。いいわ、あなたがブルーシャークだと確認する方法はもう一つあるから。」

その時、ドアをノックして入ってきた一人の男が、ファーガスンに耳打ちした。ファーガスンが珍しく顔色を変えたため、伯爵夫人は彼に向かって問い質した。
「何? 何があったの。」
「あの、奥様。実は、・・・」
言いよどんだ彼に伯爵夫人は業を煮やし、耳を近づけた。
レジーに聞こえないように小声で告げた言葉に対して、伯爵夫人の甲高い声が部屋中に響いた。
「なんですって! そんなばかな・・・、だって彼はここに居るわ。では、本当に違うの?」
「そのようです。でも、奥様・・・」
「では、以前言ったように・・・」

「どうかしましたか?」
レジーは、相変わらず平然と座り、シャンパンを飲みながら聞いた。
「ブルーシャークが現れたそうよ。」
伯爵夫人は憮然とした表情で、彼に向き直ると言った。
「ブルーシャークが? それは良かった。これでやっと私の疑いは晴れた訳ですね。」
「でも、この目で見ない限りは完全に信じることは出来ないわ。」
「疑り深いお人だ。」
「もうすぐ、私もあなたもブルーシャークに会えそうよ。」
「私もブルーシャークに会える? どういうことですか。」
伯爵夫人はレジーの隣に座りなおすと、改めて注がせたシャンパンを手にし、そのフルートグラスに立ち昇る細かい泡を見つめながら言った。
「そろそろかしら?」

 

「そっちだ」
「逃がすな」
大声で怒鳴る男たちの声が聞こえてきた。
そして、続き部屋からの扉が大きな音を立てて開いた。

男たちに追われ、黒装束に黒マスクの金髪の男が、風のように飛び込んできた。



 ―つづく―

2003/5/17