太陽・作

第 3 部

 

第7章 エル・ドールとブルーシャーク

 

登場人物紹介

「オスカルさまお気をつけて。」

シルビィとエミーの心配そうな顔に軽く手を上げて応えると、オスカルは先日のレジーと同じ仮面と黒装束を身に着けて、鏡の後ろの通路へ消えていった。   

オスカルは秘密の通路を抜け、地下階に向かった。レジーから、囚われた人々を助け出す必要はないと言われていたが、助けられるものならば例え一人でも助けたかった。オスカルは、牢の前にいた見張りに気付かれないように後ろからそっと近づき、後頭部を殴って気絶させると、鍵の束を取り上げた。鉄格子の隙間から人間の手が数本伸び、オスカルに無言で助けを求めている。   

オスカルはその手に応えようと鍵を手に扉に近づいたが、囚われた人々の眼は既にうつろで、残念ながらまともな者は一人もいなかった。悪魔の薬のその悲惨さを目の当たりに見たオスカルは、背筋が寒くなった。今ここから助け出したとしても、正常な生活に戻れそうな人間はもういないだろうと暗澹とした気持ちで牢の中の人々を見つめた。   

この悪魔の薬を何とかして無くしたい。助けることの出来なかった人々の無念をいつか必ず晴らしてやる。これ以上この薬の犠牲者を出したくない。オスカルは「レイヴン」に対する新たな怒りで全身が震えていた。   

オスカルは後ろ髪を引かれる思いで、牢を後にしようとした。しかし、ふと一つの牢の前で立ち止まると中の人物に目をやった。その男は、両腕を万歳のようにして鎖に繋がれ吊るされていた。上半身は裸で、鞭打ちの酷い傷があった。彼は頭を垂れていたが、オスカルの気配を感じると顔を上げた。顔も殴られたらしく腫れ上がってはいたが、その眼は、他の囚われ人と違って正気だった。   

「お前は・・・」

「これはこれは、ロッシュ伯爵夫人。なんとまあ麗しくも怪しいお姿で。」

「なんだって!」

オスカルは、仮面までつけた自分の変装を一目で見破った、見覚えのある男を睨み付けた。

「レディの前でこんな失礼な格好をお許しください。助けて頂けると大変有難いのですが。」 

彼は腫れ上がった顔や今のその姿に不釣合いなくらい礼儀正しく、優雅な口調で言った。 

「確か、ウォルター・バートンとか言ったな。私に失礼なことをしないと約束するなら助けてやっても良いが。」 

「私があなたに失礼なことなど致しましたか?」 

しれっと惚ける彼に、オスカルは不機嫌な表情のまま、鍵の束の中から合う鍵を探して牢の扉を開けた。そして彼の手と足の鎖も外してやった。 

「やれやれ・・・」 

彼は痺れてしまった身体の正常な感覚を取り戻そうと、やっと自由になった我が身をさすっていた。 

「傷は、大丈夫か?」 

「おかげさまで、たいしたことはないようです。」 

  そう言いながら彼は倒れている見張りの上着を脱がせると、オスカルに背を向けたまま身に着けた。 

  「私の趣味ではありませんが、英国紳士たるものレディの前では半裸でいる訳にはまいりませんからね。」 

  「それで、なぜお前はここに・・・」 

  そう問い掛けたオスカルの両腕をつかみ彼女を素早く引き寄せるとしっかりと抱きしめた。驚いて見開かれたオスカルの蒼い瞳に訴えかけるように静かに彼は言った。 

「レディ、この仮面は無粋ですね。」 

  その言葉と行動に反論しようと開かれたオスカルの唇を自らの唇で塞いだ。 

「うっ・・・」 

 

 

「わ・・・」 

「私に失礼なことはしない約束だったな?」 

  オスカルの抜き放った短剣が、冷たい光を放って彼の喉元にしっかりと当てられていた。 

彼は、オスカルの腕を笑いながら離した。 

  「いやあ、参りました。いつの間にそんなに腕を上げられたのですか? ブルーシャークの仕込みですか、まったく困りますね。」 

「また牢の中に戻りたいのか?」 

「いや、それは遠慮しておきます。」

  彼は貴婦人に対するように礼をとり、短剣を持ったままのオスカルの手に優美にキスすると言った。 

  「今回の借りは必ずお返しします。次にお会いしたときは、ぜひお名前をお教えください。それでは失礼。」 

  オスカルは彼の姿が風のように消えた後も、怒りの為にわなわなと震える手を強く握り締め、その場に立ち竦んでいた。 

(今度会ったらだって、二度と会うものか、畜生!) 

  頭を振り、冷静さを失いかけた自分を何とか取り戻すと本来の自分の務めを果たすべく、精製施設へ向かって早足で歩いて行った。 

オスカルは、精製施設を警護している男たちの前に平然と姿を見せると声をかけた。 

「見張りご苦労、私を待っているのか?」 

「は?」 

男たちは訳が分からずに顔を見合わせ、次の瞬間慌てて剣を抜いた。 

「ブ、ブ、ブルーシャークだあ!」 

「で、出た〜」 

「つ、捕まえろ。」 

  その大声にあちこちから組織の人間がわらわらと集まってきて、オスカルに向かって行った。 

  オスカルはひらりひらりと舞うように優雅に敵の剣をかわし、全員の動きに気を配りながら、戦っていた。 

  そのとき、一人の男がオスカルに背を向け通路を駆け出した。 

  それこそがオスカルの求めていた行動だったので、オスカルは周りの雑魚を瞬時に片付け、その男の後を追った。その男は予想通り、隠し階段を上へ上へと登っていく。オスカルの後も当然大勢の男たちが追いかけてくる。オスカルも男の後を追い、階段を駆け上がっていった。後ろから追いつかれそうになると振り向きざまに素早く攻撃し、追撃をかわしつつ、男の姿を見失わないように後を追って行った。 

  「そっちだ」 

「逃がすな」 

  オスカルは男が目的の場所に到達したことを確認すると、自らの逃げ場がなくなってしまったかのように演じつつ、目の前の豪華な扉を開けた。 

  オスカルが部屋に飛び込むと中にいた人々の視線が一斉に集まった。 

  (レジー!) 

(オスカル!) 

    二人は密かに視線を合わせ、お互いの仕事が順調なことを確認した。 

  スタンフォード伯爵夫人は、オスカルとレジーを見比べていた。 

  レジーはグラスを手に座ったまま、オスカルに向かって悠然と言った。 

  「ふん、君がブルーシャークか。君に何度も間違えられてこちらは苦労しているのだ。」 

  「それは、それは。でも、それは私の所為ではない。」 

「それもそうだな。ははは・・・。」 

  「邪魔だ、そこをどいて貰おう。用があるのはそちらだ。」 

  オスカルは一歩踏み込むと、剣の切っ先を座っているスタンフォード伯爵夫人の喉元に突きつけた。 

  その瞬間、レジーとオスカルは誰がどういう反応を示すのか、鋭い視線を巡らせた。 

  スタンフォード伯爵夫人は、剣がまるで見えていないかのように無反応だった。 

「奥様!」 

  ファーガスンの動きが一番早かったが、その他部屋の中にいた大勢の男たちが、スタンフォード伯爵夫人を守るべく、オスカルの前に剣を持ち立ちふさがった。 

ファーガスンの剣が怒りに燃え、スタンフォード伯爵夫人の喉元に突きつけられたオスカルの剣を振り払った。 

  その彼の瞳には、オスカルに対するただならぬ憎悪が感じられた。 

白刃と白刃が打ち合い、火花を散らした。鋼が乱舞し、恐ろしい速さで彼の剣が繰り出されてくる。矢継ぎ早に攻撃を仕掛けられ、オスカルは必死で防御を繰り返していた。ファーガスンは、オスカルの父くらいの年齢だと思われたが、その剣の腕前はオスカルたちの想像を遥かに超えたものだった。 

オスカルは彼と剣を交えながら、スタンフォード伯爵夫人に対する彼の気持ちが、ただの主従関係ではないことを感じ取っていた。その彼の真摯な心が剣に表れていて、オスカルの剣を迷わせていた。オスカル本来の技の冴えはなく、反撃も出来ずに防御に徹し、いつの間にか壁際まで追い詰められ、逃げる空間がなくなっていた。 

(まずいな・・・) 

レジーがこの戦いをどう止めるか考えていたそのとき 

「傷つけないで!」 

  伯爵夫人のするどい声にファーガスンが躊躇し、彼女を振り返った瞬間、オスカルの剣が彼の右肩を刺し貫いた。 

  カチャン・・・ 

    ファーガスンが剣を取り落とし、前のめりになった瞬間、オスカルは彼の後頭部目掛けて剣の柄を思いっきり打ち下ろした。彼は意識を失い、床に崩れ落ちた。二人の戦いをただ傍観していた男たちがその音で我に返り、オスカルに向かって一気に攻撃を仕掛けた。 

オスカルは、やっと迷いが解けたように男たちを睨みつけた。そして、次の瞬間敵の動きに素早く反応し、軽やかに宙を飛んだ。剣が風を切り、唸り、襲い掛かった男たちに対して目の醒めるような剣さばきを見せた。 

  そうして男たちの身体は、冷たい大理石の床に次々と派手な音を立てて沈んだ。 

  オスカルは息を整えると広い空間に抜け出た。そして、スタンフォード伯爵夫人に向かって黙って歩を進めた。部屋の中は何の物音もせず、静まり返っていた。残った者はオスカルの見事な剣さばきに対して、息を飲み、気後れし、遠巻きに剣を向けているだけで、手向かおうとはしなかった。 

スタンフォード伯爵夫人の表情がほんの少し歪んだように見え、彼女の指が何かを探すかのように動いた。 

それを見たレジーは、  一人納得するとスタンフォード伯爵夫人を庇い、オスカルの前にすっくと立ちはだかった。 

「誰か、剣を」 

  レジーの落ち着いた声に一人の男が彼に剣を手渡した。 

  レジーは黙って剣を受け取り、オスカルにゆっくりと近づいた。 

「邪魔だ、退け!」 

「退かないと言ったら?」 

「では、消えて貰おう。」 

二人は互いに剣を向け、しばらく睨み合っていた。 

  「はいっ!」 

レジーから先に攻撃を仕掛けた。 

  静まり返った部屋の中には、剣と剣がぶつかり合う硬い音だけが響いた。ものすごい迫力だった。二人は黄金の髪を振り乱し、派手な大立ち回りを演じ始めた。 

広い部屋の中を余すところなく動き回った。大変な美術価値はあるだろう花瓶を叩き割り、豪勢な椅子を蹴り倒し、見事な細工を施したテーブルに土足で飛び乗った。部屋の中は惨憺たる有様だった。 

スタンフォード伯爵夫人は、そんな有様にも驚く風も無く、鋭い視線を二人に送っていた。 

二人は芝居と見えないように本気で戦っていたが、レジーの動きが徐々におかしくなってきた。いつもの身体のきれがなく、剣に対する反応が鈍い。そうこうするうちに顔色も青ざめ、息遣いも荒くなってきていた。オスカルは心配だったが、それを顔に出す訳にも、声に出す訳にも行かなかった。 

オスカルの仕事は一応ここまでで、そろそろ引き上げる予定だった。しかし、オスカルが消えるより早くファーガスンが意識を取り戻し、応援を呼んだ。 

  ピ――――ッ 

    彼の指笛に応えて、屈強そうな男たちがその手に武器を持ち大挙して現れた。 

  「ブルーシャークの顔が見たいわ。捕まえて仮面を剥いで!」 

  スタンフォード伯爵夫人が、男たちに向かって叫んだ。 

  男たちはオスカルの仮面を剥ごうと、じりじりと迫ってくる。 

一人の男は銃をオスカルに向け、構えた。 

  レジーは目配せすると、オスカルをバルコニーへ誘導した。 

  レジーはここぞと歯を食いしばり、大きく剣を振り、オスカルに銃で狙いを定められないように派手に動きまわった。バルコニーの手すりぎりぎりまでオスカルを追い詰め、彼女に覆いかぶさるようにして、他の人間の視線から隠すと、小声で言った。 

「ここから湖に飛び込め。」 

「この高さから?」 

  レジーは小さく頷いた。確かにここは最上階。ただ落ちたらいくら下が水だといっても危険な高さだ。きっとオスカルの運動神経なら大丈夫の筈。でも、その危険を遭えて彼女に冒させなければならない今の自分が情けなかった。いつもの自分だったなら、決してこんなことにはならなかった筈なのに。 

躊躇している暇はない! 

他にあの銃から彼女を逃がす方法はない! 

「さあ、今だ。『ブルーシャーク』はもう逃げられない。仮面を剥ぐが良い。」 

レジーはオスカルの顔に剣を突きつけ、大声で言った。その言葉に銃を構えていた男が、銃を下ろし左手に持ち替え、オスカルの仮面に手を伸ばした。オスカルはその瞬間、レジーの剣を払いのけ、彼に切りかかった。いつもの彼なら当然避けられる、ぎりぎりのところを狙った筈だった。しかし、そのとき、レジーがふらつき、当たらない筈のオスカルの剣の切っ先がレジーの左腕をかすった。 

オスカルは、その剣の感触に驚いたが、レジーは表情をまったく変えなかったので、服だけを切ったのだと思い込もうとした。そして、自分に向かって伸ばされた男のごつい手首をつかみ、素早い関節技で男を投げ飛ばすと、男の身体を踏み台にしてバルコニーの手すりにひらりと飛び乗った。 

「では、失敬。」 

オスカルは、湖目指してまっすぐに飛び込んだ。 

  

 ―つづく―

2004/3/24