昔の行事と風習

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


1月
1日 若水汲み  一家の総領が1番早く起きて、若水を汲み、門松の一枝で「当神、ユミタメ、払いたまえ、清めたまえ」あるいは、「高天ヶ原の大ショウブレ、家内安全豆息災」と唱え大神宮様を清めてから家中をお祓いした。
2月
1日 正月行事  巣守神社へ「燈」「さい銭」をもって、朝早く男がお参りする。(女は午後から)
献立 (朝) 餅 火なた(いろり)のワタシで焼き、湯に通して、きな粉・あんこ・くるみなど好みのもので食べる。(昔は雑煮のみ)
雑煮 味付けは、たれ味噌で人参、ごぼうは笹がき、、短冊きりにし、ゆでた大根、打ち豆、それに焼いた餅。
2日 仕事始め  夜中の2時頃起きて、男はワラたたき、女は機織。姑が朝飯をし「まんまにしょいやー」というまで働き、朝飯を食べて11時ごろ「やめて、行けばいいでー」と言われるまで働いた。
そして、実家へよばれていく(嫁・婿・外孫を招待する)。「親に食べてもらう」といって、両親がいれば2升、片親の人は1升のお米を持っていった。
献立 (昼) ごはん、焼き魚:塩引き(塩鮭)
平:ごんぼ、人参、輪麩、里芋等各2切。生イカ、身欠ニシンの煮つけがつくこともあった。
小煮しめ:のっぺ、切昆布、きんぴら、煮豆、納豆(自家製)
菜ぶたし:白菜をゆでて、かつぶしや砂糖にしょうゆをかける。
黒塗りのお膳で食べた。       
初旬 仏様参り  親類が仏様参りを兼ねて年始をした。
献立 キリ和え(しその葉を干しておき、ゆでてきざんでよく絞り、焼味噌、砂糖、ごま、くるみと一緒に重箱に入れて供し、ご飯にかけて食べる。)
平:とろろ芋卵落とし(とろろ芋に黄身を落とす)、かんぴょう、切昆布、納豆の切和え、菜ぶたし
6日 巣守神社の
年取り
 初嫁は、紋付を着て丸まげを結って、姑と一緒にお参りをした。
五兵衛のばあちゃんが髪結いだった。「どこどこの嫁が参るって」と話題になっていた。
「女休み」の日で、仕事は休み。
7日 七日正月  朝、神棚からふくで餅を下げて、あづきがゆに入れて塩味で食べた。
「男休み」の日で、女はカチコン、カチコンと機織。
11日 蔵祝  蔵の大黒様にお参りする。「大黒様はいらんかのー」と、刷った紙を売りにきた。それを貼って、細縄に干し子(焼いて)、かずの子、切昆布をつけて、大黒柱へかざり、この日は、きな粉餅を食べた。
お神酒を大黒柱にかけ、お飾りを上げ、酒の肴(小煮しめ、切昆布、きんぴらなど)をもって蔵の中で祝う。
14日まで 若木迎え  正月内の寅の日に若木迎えをする。
七・五・三にワラの頭を出して縄をない、かた餅、昆布、、干し子、かずの子、かた炭、干し柿等のうち、3品をその間にはさんで、頭にはち巻をし、腰にナタをさして山へ行き、木の枝を一枝切って、はち巻をそこへかけて「やえかかしにそうろう」あいまちが無いようにと拝む。そのあと、物干し用の又木を3〜4本切って帰る。
この日は、よその山へ行ってもよいとされた。
14日 ダンゴを祝う  ダンゴの木(ミズフサノ木)にダンゴをさして、まゆや米をはじめ作物がよくとれるよう祝った。
ダンゴは、粉をひき、湯でこね、まゆ、かぼちゃ、なす、きゅうりなどの形に作り、蒸して木にさした。米がたくさんとれるよう、ノイゴに搗いた餅をちぎって、つけたり稲穂を下げたりして家の中へ飾った。この日は、もちをついたり、ダンゴの木を祝ったりで忙しい。
14日の夜は、わらぐつ作りをして、そのままワラゴミは片付けない。
15日

 15日の朝、男が柿・梅などの果樹に「なるかならんか」と鉈目を入れ、「だんご湯だばナリモウソウ、ナリモウソウー」と言いながら、だんごのゆで汁をかけてやる。
もぐらもち  子供達は、夜中の12時頃から、ワラたたきの横槌に縄をつけて、囃子唄を唄いながら引きまわす。
囃子唄 ”もくらもちゃ お宿にか 横鎚どんの おんまいだ おんまいだ となりの屋敷にちょうろちょろ 道いでたら カッツブソー カッツブソー”
はじめは自分の家の回りを3回まわり、村の中心地の大道に出て集団でモグラ追いをする。
「朝になってみると、ばかでっこい穴が開いているっけ。」
小正月  15日の朝、2時頃起きて、午前中の分を働く。「やめれー」と言われるまで仕事をする。
女は機を織り、男はいろりばたで火を焚いて1年分のつなぎをこしらえた。
朝は、塩味のあづきがゆを食べた。
昼は、嫁を連れて、妻の神様と巣守神社へお参りした。初嫁は、丸まげを結ってもらいワラぐつを履いて「いい所へ縁づいた」と感謝の気持ちで、また「子供がいい所へ嫁にいかれるように」とお参りした。出店が出た。
洞つくりと
妻の神
 子供たちは雪の洞の中で遊んで、夕方になると門松やワラぐつを燃して”妻の神はバカだ、めくらっ子に火たかして、いま火事だしゃる、だしゃる”と囃子たてる。
ようとりん棒  巣守神社境内に、ようとりん棒を立てる。適当な太さの真っ直ぐな杉を切ってきて、上の方に鳴呼をぶらさげた。お参りする人は”朝鳥追えー、夜鳥追えー”といって鳴呼をふった。
夜は、巣守神社・毘沙門天様の裸押合い祭り。男衆は褌一本で本堂で押し合う。
”オセ、オセ、オセヤ、ナカオセ、オセヤデキタリヤ、デキタリヤ
フクタメテ、エジャマにモウヤ、フクタメテ、ゲコウショ”
押し合いが終わって、12時ごろ帰ってくると、餅を焼いて待っていて、安部川餅にして食べた。
15日の朝はあつきがゆ、昼は子年迎えで正月料理と同じ。
数珠繰り  悪病払いの行事で、隣近所の善男善女30人ほどで、12畳半の座敷いっぱいに車座になって、木でできた数珠を”南無阿弥陀仏”ととなえながら、お日様と同じ左回りにまわす。二人の「一念とり」の鐘にあわせ、大きな数珠(これを頭と言う)がまわってきたときに拝む。
2月15日午後の決まっていたが、村に悪い病気がはやったときには行った。その後、大皿や鉢に盛った料理を小皿にとりわけ、男はお酒、女は甘酒でごちそうになった。
献立 ビクニ酢和え(大根をすりおろして、打豆と一緒に煮た酢の物。人参の細引きを少し加える。)
小煮〆(のっぺ)、切昆布(打豆・人参)、キンピラゴボウ
白和え(人参・くるみ)、菜ぶたし(白菜)
16日
戸主は、朝飯を食べないで、戸外の野鳥に与える。
20日 二十日正月  正月の飾りをいろりで燃してダンゴをあづきがゆにして食べる。(ダンゴはウグイスが鳴くまでとっておく家もあった。)
ダンゴは、火なた(いろり)の灰で焼いて食べたり、子供にヒリョウ(駄賃)としてやったりする。
門松の若松に火をつけ”アッチャチャ ボッチャチャ アブカに負けんな”と手・足に付けて、息災を祈る。
25日 山神祭り  2月25日から3月12日までの間、若い衆は、それぞれワラ仕事をした仲間と寄合いし、野菜を出し合い山ウサギを捕まえてきて食べた。
三晩位、寝泊りし、いろりへ木株をくべ(燃やし)、パチ(花札)をしたり、一番の楽しみであった。(わら仕事は、ほぼ完了する。)
3月
初旬 田の神様  春と秋の社日を田の神様といい、春は土が出て田がわくようにとボタ餅を作って、大神宮様、仏様へお供えし、鍬で二つ三つ雪の上を田んぼブチ(うち)してきた。

初午祭り
(稲荷様詣)
 3月に入って最初の午(うま)の日に、カラコダンゴと油揚げを持って、稲荷様へ女がお参りする。
初午が1日から5にちまでにあればネン馬(フセン馬)6日から10日までにあればハネン馬で”火ばやいすけ、火に気をつけろ”といって火事に気をつけた。 
8日 事始め  各家でダンゴを作り、大神宮様、仏様へお供えした。
米の粉はいすす(石うす)で挽いて(手杵の人もある)、お湯でこねて、ふかして(2度こねするとおいしい)あづきダンゴにする。
12日 十二山祭り  馬の印判画(絵馬)を神社のつなに下げ、塩味のあづきご飯(男が炊く家もある、干し子2本や塩ますをのせ)にカラ粉ダンゴを供えて、朝早く男がお参りする。
また、川や小川の端に葦の棒に水引きで絵馬をぶらさげ、川の災難がないようカラ粉・赤飯をあげてくる。カラ粉ダンゴは、米をひやかし、水切りしてカラコ桶に手杵でついて、粉にし、水でこねてマユの形にし(生で)笹に包んで山の神へあげた。
15日 ダンゴ撒き
(3カ寺で行う)
 数多の人を助けるお釈迦様のお守りダンゴとして、昔、小学校は半日であがりで、3カ寺でダンゴ撒きの時間を決めて大人も子供もダンゴ拾いに行った。子供たちの1年中の楽しみで、高徳寺→下の寺(阿弥陀院)→上の寺(妙楽院)の順番にまわり、寺の下の家はカバンでいっぱいになった。
16日 シロー神様  蚕の神様で、朝餅をついて祝う。
蚕を飼っている人は、福で餅・切り餅にして、蚕が腐らないようお参りした。蚕を飼わない人は、おはぎをした。
この日の夜は、白いご飯が食べられると楽しみだった。
彼岸が過ぎると、コロ山作業で山へ入る。対象10年頃までつづく。
4月
3日 ひな祭り  3月になったら早く飾り、大雛祭りがすんだら早く片付けると、娘が縁遠くならないといった
4月3日・4日と「菱餅」、「干しダラ」をもらって実家へ帰る。2泊して帰ると、飯前仕事ができないので、祖母の機嫌が悪かった。(夜帰ればいいのに、おたちして帰ると・・・)
14日
15日
巣守神社
春祭り
 14日の夜と15日の昼過ぎには、丸まげを結って初嫁がお参りをした。どんな着物で、どこの人がお参りするかなど、楽しみにしていた。(丸まげは昭和13年頃までつづいた。)
灯ろう押奉納  3尺の1間(畳1枚分)もある四角の枠に紙を張って絵を画き、ロウソクをともして、上にはカヤ・桜・椿などを飾って上(カミ)と下(シモ)で押し合いをする。
囃子唄 ”カシーマーアニ、カミーアル−ナラーバーヨ、アラチンチンカンポ、ヨシター、ヨシター、アワセタマエヤー、イマイチドー、アラチンチンカンポ、ヨシター、ヨシター”
献立 昼 ニシン魚の煮付けか焼き物、小煮しめ(のっぺ)
酢のもの(大根千本または、おろし酢和え)、切昆布(油揚げ・人参・打豆入り)、菜ぶたし、ふきのとう(ひたし、三杯酢、くるみ和えなどにした)
田仕事が始まる。あぜぬり・田んぼ打ち・田んぼこぎり・代かき・そして早い人は6月初旬から田植えが始まる。
6月
5日・6日 節句  菖蒲ともち草を家の入り口に飾り、風呂に入れて息災を祈る。
菖蒲湯に入るとムジナにならない、切り芋(とろろ芋)を食べると中風にならないといった。
献立 赤飯にぜんまいの煮付け(切り芋を入れて) 

蚕作業  掃き立て(採卵)から、田植えが終わる20日頃には、蚕は最盛期となる。

炭焼き  炭焼きを始める。
7月
1日 きんぬぎ(衣脱ぎ)
ついたち
 赤飯を食べた。
この日は、桑の木の下へ行かないようにと、桑の元切りをこの日までにお(終)やした。
※蚕に与える桑を刈った後の切り株を来期のための剪定と、危なくないようにと切り揃えた。
中旬 蚕上げ休み  7月13日頃、蚕上げ(こあげ)といって、マユ取りが終わると笹ダンゴを作った。(5升も作った)
蚕上げ休みは実家へ笹ダンゴを持って泊まりに行く。初嫁のときは1週間もつぎ物(繕い物)を持って行き、不足分は実家から補ってもらった。
5月は、「かいこ餅」といって、蚕の出ないうちに餅をついたりおはぎをして、近所とやり取りした。蚕上げは笹もち(白い餅を新しい笹に包んで、ミのなかに入れておく)を作って町の親戚に持っていく。蚕が終わって、マユ取りの2日ばかり前に笹ダンゴを作る。
ふだん赤ん坊は、ツグラの中に半日何も飲ませないで入れっぱなしで、泣き寝入りをする。ツグラへ灰を入れ、クズ(わらをすぐったカス)を入れ、産婆石を片方高くして、赤ん坊のトウヨをめくって(腰を下ろさせて)おく。蚕上げで実家へ行って抱いたりすると、家へ帰ってツグラへ入らないで困った。オシメは刺し子のシメで、縄にさして干したり、オシメ籠で乾かした。
24日 馬 市  栃尾の町で馬のセリがあった。半日糸引きをして、午後は休みで洗濯をした。
8月
1日 盆ブチ
ついたち
 お寺へお参りする。新盆の家は親戚を呼んで、お寺でご飯をいただく。
7日 妻の河原の
石積み
 7日の日の水は”クスリ水が流れる”といって、川の水を飲んだ。
亡くなった子供の供養で朝早く河原へ行って、小さい石を高く積んだ。
9日 上の寺の
観音様
夜、出店(天ぷら屋、とうもろこし、おまん等)が並び、木株つを囲んでの盆踊りもあって賑やかであった。
13日
14日
15日
 3日間、墓参りと盆踊りがあった。
13日はハスの葉を逆さにして、ついた餅にあんこをつけて仏様へ上げた。
14日は鎌を使うなといって、13日は飯前に馬の草刈をいっぱいした。
15日から17日は、実家へ帰るのが一番の楽しみであった。
献立 天ぷら(なす、インゲン、かぼちゃ)、棒ダラの煮付け、きゅうりもみ)
天ぷらは、1年に1回で、菜種油で揚げた。
23日 下寺の地蔵様 お参りだけで、店はなかった。
27日
28日
巣守神社     秋の大祭 2日間神社で盆踊りがあり、赤飯にぼんとどうようのごっつおだった。
うら盆 この頃は、秋蚕が出て、3つ休みをおきた頃。
社日
9月


 秋は田がしまるようにとあづき餅をついて、大神宮様と仏様へお供えした。作柄のよい年は、日が早い。
ススキを切って立て、両方から折り曲げて稲のはかでしぼって稲穂をかけ田んぼで豊作を祈った。
14日
15日
貴渡神社大祭  機神様(植村様の命日)の大祭で初嫁がお参りした。町の方からも大勢お参りがあり、だいだいをあげた。(大正13年、県知事を招いて百年祭があった。この時から、本当の命日、8月23日は蚕が忙しいので9月を祭りとした。)
献立 くるみ餅(搗き餅)、酢ズキ
十五夜様  箕の中に「米・大根菜・ふくで・茎つきの里芋・枝豆」などの供物を入れて、がんぎ端へおいてお供えした。
この日は、他の家の物をもいだり、供物を食べてもよいなどといった。
10月
9日 山の神祭り  栗おこわ・カラ粉・甘酒を供える。
献立 栗おこわ、油揚げの煮付、甘酒
鍵番のところへよばれていって、甘酒やカラ粉も蒸かし直してごちそうになった。
11月
23日 秋もち  「助」といって、蚕どきや田植え・稲刈りで世話になった人を呼んで、ごちそうをし労をねぎらった。
献立 平(油揚げ、ニシン、里芋、こんにゃく)、煮豆、切昆布、沢ガニの天ぷらなどもあった。
”助餅”といって、餅が多かったが、手打ちソバや白いご飯もあった。
12月
1日 川とび  上杉謙信、川中島の合戦が起源で、餅をついて祝い雑煮を食べた。
5日 オオベツ様の
年とり
 大黒様は魚が嫌いでいなさるといって、オオベツ様(恵比寿)は魚をつけなかった。
8日 事納め  おかゆダンゴを大神宮様・仏様へお供えした。
9日 大黒様の
年とり
 自分は嫌いだが、オオベツ様は好きでいなさると魚をつけた。
13日 おかのえ様の
年とり
 長いことを喜ぶといって、塩マスを食べればその尾をあげた。
13日から
15日
洗濯休み  嫁さんは、実家へつぎもんを持って帰り、普段着を洗い張りして帰る。
餅をついて食べる。
寒九 寒九の
かぼちゃ
 寒の入りから9日目に息災を祈ってかぼちゃを食べた。(中風にならないといった)
茶の間の梁の欄間などに並べておいたものを煮付けたりした。
23日 大師様の
後隠し
 ヌカをくべて、焼いた大根を短冊に切り、味噌で和えお供えした。
31日 年取り  家中のすす払いをして、年取りを迎える。
普通は夕食だが、昼に年取りの家もあった。
献立 塩引きの焼き物(くしに刺して、いろりで焼いた) 
平(輪麩・身欠ニシン・里芋・人参・ごんぼ)
大平(人参・ねぎ・ゆり・きり芋を薄切りにし、鯉のはらを入れ、砂糖・塩・しょうゆで味付けし、最後に砕いた豆腐をいれて片栗粉でとろみをつける)
小煮しめ(のっぺ)〆豆腐を入れた。〆豆腐は、スダレに巻いて手作りだった。
白和え(人参・大根・かぶ・くるみ)、酢の物(大根、人参の千本切り)、納豆、キンピラ、ぜんまい
家によって、鯉の吸い物がついた。
「ますます繁盛」といって、生マスを大黒様へあげ、正月5日に食べる家もあった。
その他
毎月1日、15日は月並祭。9日は巣守神社の命日で、夜あげもん(お供え物)があがり、タヨサマ(神官)、氏子、舞子が出る。
ほうそ(水ぼうそう)
ダンゴ
 初子がほうそになると、近い親戚が白い粉のダンゴにあづきをまぶして見舞った。実家はいっぱい持っていった。ほうそが治ると、「ほうそ流し」といって、甘酒に煮付などのごっつお(ごちそう)で、その人たちをよんだ。
普段の食事  冬の食事は、夜=米おかゆ 昼=ぞうせ(雑炊) 朝だけ白いご飯が食べられた。ぞうせには、かぼちゃ・大根・里芋・塩漬けした大根菜など入れた。煮菜を煮た汁に草もちを入れて食べた。
草もちは、うすでいりご(未熟米)を粉にして、よもぎの干したものと一緒にこね、セイロで蒸かす。(細長くするのでイタチといった)蒸けたら取り出し、ちょうどよい硬さになったら切っておく。これをぞうせに入れたり、ワタシで焼いて、夜なべの夜食や子供のおやつにした。
オオベツ様・大黒様・お守門様の年取りは、白いご飯が食べられ、それが楽しみだった。

正月が過ぎると、みそ煮が始まった。みそ玉にし、干しあがると桶にひやかした。そして皮を包丁でそぎ切りにし、ワタシで焼いて、しょうゆをかけ、おかゆやご飯のおかずにした。豆を煮た汁で煮菜を煮ると甘くておいしかった。

冬になると「実じょうゆ」を作った。
豆を煎って、いすすでひいて、コウジと合わせ、ワラの中でねかせた。できるとカメに入れて、冬中食べていた。ご飯にかけて食べるとおいしかった。

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

栃尾の方言については小林さんのサイト「栃尾方言辞典」へどうぞ。

注意・出典
 この行事表は、栃堀地区独自のものであり、栃尾市内全域のものではありません。(当然、各家によっても多少の違いあり)
また、内容についても住民の記憶をたどって記述されているため、一部不正確な部分もあるかもしれません。文中の表現については、なるべく方言はそのまま残したいとの私の思いで、読みにくいとは思いますが原文に近い形で引用しております。(身近な年配の方に聞いてみるのも面白いと思います。)
行事の「月次」が現在の「月」と違うのは、太陽暦の採用後も太陰暦(旧暦)で行われていたためです。行事の内容に農作業や養蚕関係が多いのは、この土地で養蚕が盛んだったためで、当時の生活がしのばれます。
出典:長岡農業改良普及所栃尾支所・栃尾市栃堀区 編 「栃堀生活誌」(1982年)

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