そのはじまり
祖母の介護
「介護者」というのは、介護が無いと生活してゆけない「老親」の子供あるいはそれが息子であった場合…その奥さんになった女性(お嫁さん)がなるのが通常なのでしょう。ただ、我が家の場合、ちょうど健康上の理由で私が「介護職員」をリタイア、そして療養中の身…であった事から、共働きの両親に代わり「介護者」となる事を引き受けたわけです。得たものは大きいですが、代償もそれなりにありました。
 自分自身が実際そうであったかどうかというのは、医師でも無いので言いようが無いのですが、最近話題の「介護ノイローゼ」というのは…それで精神メチャメチャになる方のお気持ちは察するにあまりあります。「何事か報われたい」なんて卑しい根性で長期の介護が続くことはあまり無いと思います。ただ、世間体というものの縛りはキツイですし、縛ったわりに介護者の様々な苦労に対して(それは一つの犠牲と言っても過言でないと思います)顧みられない…理解を持とうとしない、そういう状況に立たされる事がいかに苦しいことか、身に染みるのです。
かつて、私自身も「介護職員」として働いており、その仕事をライフワークと思って勉強して来ましたし、誇りを持ち、自ら及ぶ範囲で誠意を尽くしたつもりでした。 ですが、それはやはり「つもり」であったのです。

仕事としての介護を思い切るそのはじめ
それが分かってきたのは、手についた職を思い切れず、地元に戻ってからも様々なルートから「介護職員としての」仕事を探した長い時期の中のことでした。ある温泉町にある知的障害者の方々の更正施設(簡単に手につくお仕事をしながら、共同生活を営む場所です)に紹介を受けた折、その施設に連れて行って下さった方からこんな話を聞いたのです。

「私は元々は看護婦で(入所されている)子供のために、この施設の立ち上げに力を尽くしました。こんなお山の中だから、最初は大変だった…脱走してそれっきり見つからない子も、死んでしまった子も居た。だけど、自分の出来ることは尽くしたと思っているし、今も家族としてそれをやっている…。
でもね。ある事があって、私は家族会に関わる事を止めました。
その職員には全く悪気は無かったのだと思うけれど、思ったことを言い過ぎる。私と親しかったお母さんが居たのだけどね、その人の子供は重度の身体障害も持っていて、介護なしに生きていけない。彼女はね(職員)、その人が正月やお盆に子供を帰省させない事を詰ったのね。
職員側からすれば、それは『年に一度や二度…家に帰ることもさせてくれない、なんて…』と思うのでしょうし、それは一つの正義感よ。けどね、そのお母さんにとっては、それは言われるのが苦しい事だったのよ。
もう、その子のお兄さんがお嫁さんをもらって、そのお世話になって暮らしていましたから、『自分の目の黒いうちは、お嫁さんに息子のことで迷惑をかけたくない』と言っていたの。
家に我が子を連れて帰って、どうしたと思う?子供と自分の身体にサラダ油をかけてね………火をつけて。お嫁さんが見つけて、子供は助かったけど、お母さんはもう。
それだけなら、私も致し方ない部分を認められたかも知れないけれど、その後が良くなかった。
その事を当時家族会長だった私にすぐに報せず、亡くなった方と親友であった事を知りながら、彼女の葬儀に行くのを止めさせようとしたのよ……」

 施設の見学者として、そして元・介護職員として…本当にそのお話をお聞きしたときは寒々として、その夜、とても眠れなかったのを覚えています。

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