それが我が身に我が家に
一部、理解は出来ました。出来たからこそ…
そのお話をお聞きして思ったのは…正直、その方は少なくともその施設の運営にまでに至らなくても、その職員さんに対しては怒りを忘れられないのでは無いか…という事でした。その心境でどうして私を「職員として」その施設に紹介をされるのか?
 あった事に対して何も後から出来ることは無いですし、それが引っかかってしまい、翌朝、その女性を紹介下さった方に相談し、お話を断りました。が…自分の身に置き換えて考えてみて…そのような形で人を傷つけてしまった事が無かったと言えるのか?というと、残念ながらそうでは無かった。そのお母さま方には可哀相過ぎる事をしてますし、後のフォローも自己弁護的と思えますが、「私にもその職員さんを責める資格は無い」というのが心からの感想です。
 唯一、その職員さんを同業者的視点から庇うとしたら、人間、自分の目で見えるものに関しても充分に出来ていることがあるとは言い切れない、まして見えてないものに関しては考えも及ばない。自宅と施設しか知らない、施設の中で入所している方のたった今ある生活を見ていくだけでも「激務」ではあるのだと思うしか無いでしょう。入所者やご家族が置かれている事情への配慮を充分に出来なかった「反省」をしてしかるべきところを、「この人に知らすと…」みたいな事で避けてしまった事がいけないのでは?とは感じますが。
(これはイジメ自殺等でも学校側・苛めた子供の保護者の方々に関して思いますが、何故、イジメの事実が分かった時に『謝罪』が出来ないのか?と…。謝って悪い事があると思いませんが?かえって責任逃れをしたくて、家族に『マスコミに何も言うな』と念書を書かそうとしたり、『やらなきゃ、ウチの子供がやられてた』みたいな手前勝手なことを言って開き直る、といった誠意の無い対応をするから…子供を亡くした親御さんがますます傷つき、怒るのだと感じていますが…。その結果、訴訟になって超・高額の賠償金を『命令』で払うなら、早めに謝罪をして『示談』を成立させるか、最悪、裁判でも早期に『和解』をする方が傷は浅いかと…)

 自分なりやって来たことを一度離れ、外からこれを見てみることでしか、この出来事の本質は見えないな…。いずれ健康を取り戻して「あの世界」に戻るにしても、他に自分のすることが見つかるにしても、何やら宿題をもらった気がしたのです。父方の祖父の最後の入院に付添い人の一人として関わったときも、その事を思い出していました。「私が知らないのは、家族としての思い…なのだな」とボンヤリ思いつつ、成り行き任せに過ごしていたら、次は同居の祖母(母方)の介護が待ち受けていたのです。それも、すかさず、といったタイミングでした。

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