地域の閉鎖性
露骨な他所者排除の気風
 (こうしてパソコンに向かい、このようなお話を綴るのも、ペンで綴るには辛いからなので。活字の形に見えてくる作業の方が、回想も少しは理性的に出来るものらしいです。これは、あくまで私の場合ですが)
 通っていた病院に行くのが体力的に辛くなり、近くの医院に通院先を変えたことが祖母の身心の様々な衰えの兆しの一つでしょう。付き添いも最初は必要無かった事でしたが、普通歩いて5分のところをタクシーで通院するようになる、そして薬を自己判断で服用回数・量を変える頻度が高くなる。
 そこを問題に感じて付き添うことにしました。
 そこで見えてきたものは、やはり地域に根ざした医療活動をしている場所柄、患者は老人の割合が高い。作者の居住しているところは昔は田んぼだったところが多い、ついこないだまでは農家だらけだったところを拓いた「ニュータウン」ですから、昔から住んでいる人ばかりです。

 祖母は孤立した存在でした。

 作者も関東から戻ってきた頃はかなり悩みました。余所者を受け入れない土地柄で…市内にある工科系国立大学の職員の奥さんである知人が居ますが、彼女は習い事やサークルまたボランティア活動で住んでいるところの水に馴染もうとしたのです。が、ことごとくそれは拒まれたそうです。洋裁を習ってみれば先生に「あなたは違うわね」とグループから隔離されたり、ボランティアに行ってみれば方言を分からないために拒否され、何かとつまはじきにされてしまい…ノイローゼになったそうです。毎年NHKの「ロボコン」に出場している大学で全国から学生が集まり、教職員も都市部から転勤などで訪れるのですが、奥さんが土地に馴染めず孤立感から神経症になる事が多く、それも「(地名)ノイローゼ」と呼ばれる深刻さだというお話でした。その為に離婚に追い込まれる教職員ご夫婦が後を絶たない…という程だそうです。作者も地元に戻ってきた折は、自慢のつもりは無く、単に思い出を語るだけでも「あんた、何処にいると思っているんだ!」と口撃があり、それが家族である部分で窮屈な思いをしました。それが無くなり、理解に及んでもらうまで数年を要しましたから、その孤立感はある程度は理解できます。
 祖母は、祖父に逝かれてから仕事をしながら東京で暮らし、そして体力の限界で母を頼る形で我が家に来ました。若いうちなら何とか土地に溶け込む努力も柔軟性もあったのでしょうが、残念ながら…。元が関西人であった事からかなり土地ではやり難い部分があった事を、その時初めて知りました。

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