ドクターストップ
不承不承の理解でも
 結局、家族の理解をもらえた…のは、祖母の痴呆の状態が進むにつれ、でした。

 生活上の時間感覚を失う、夜間の不眠・徘徊、妄想、本当に型どおりに祖母の人格は崩壊していったのです。が、そこがやはり「疾患」というもので、家族が何を言おうと自分は変わっていることを自覚しないわけです。
 冬の夜間(豪雪地帯と言われる場所ですので)、「歩く練習をするのや」と歩き回る。「お客さんが来ておるのや」と誰も居ない方向を指差す。食事の直後に食べていないと言い出す、夜中に窓を開けて「助けてー」と叫ぶ等々…。よくあるお話ですが、昼間は私が見ていても夜間にそれが始まったために家族も身にしみたわけです。
 そして、誰も姿が見えないと「どこや、どこや、皆、私を置いてどこへ行ってしもうたのや…」と泣きながら探すため、もう白内障で視力は大分弱っていましたが、気配の分かるような場所に誰かが居ないといけなくなってしまいました。ですから私はほとんど「禁固刑」のような生活となり、睡眠不足から家族も貧血を起こしたりなどして精神的に追い詰まってやっと…本気で介護サービスの利用を受け入れてくれたのです。

 その後の祖母の行く先を決めることとなったのは、妹の結婚4日前の夜の緊急入院でした。食事中に突如、意識を失い、数分しても戻らない。母が抱きかかえた時、一瞬祖母の身体が冷えていったということで、119番せざるを得ませんでした。病院には検査入院となったのですが、妹の挙式自体は中止することは出来ませんで、強行となりました。母が夜間の泊まりこみ・私が昼間のフォロー、と祖母に付き添い、挙式の前日と当日だけ、病院側に祖母のことをお願いしました。
 今もあの時がどんな時だったか、ハッキリと思い出しにくく、妹の挙式・披露宴も後々招待客の方々・式場のスタッフ(妹の元・職場)の方々から写真を見せてもらって、「ああ、こんな結婚式だったんだ…」と知るような感覚です。結婚式の時は新郎新婦の家族は元々スタッフで忙しいものですが、祖母の入院に付き添うという仕事が増えまして、両方ともおろそかに出来ないことですから「いい加減」に出来ることが一切無かったと言っていいかと思います。
 挙式が終わった夜に私が過労で倒れてしまい、それから3日くらいは母一人に相当の負担をかけてしまいました。母がこれまでの事も含めて事情を病院側に話したところ、病院のケースワーカーの方より、現在、祖母が入所している老人保健施設を紹介頂いたのです。退院後はその施設への通所入浴と新たに月二週(これが市でのギリギリだったそうです)のショートステイを組んで、心身ともに休む余地を頂きました。が、それがもう少し早かったら…もう少し在宅では居られたかと思います。
(長期間のダメージの蓄積はやはりあって、なかなか治療が進まなかったことがあり、私がこれ以上介護続行をすることがムリという医師の判断に至りました)

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