勝手知ったる、、、
 
 まあ、私にとっては「勝手知ったる病院の中」っていう感じでした。

 その数年前に父方の祖父が別の病院に入院していたのですが、それが最後の入院でした。
 父の実家はコメ農家でしたから、ちょうど農繁期(稲刈り)に当たる時期の入院に付き添いは大変で、私を含めて父の兄弟姉妹+私が付き添いのローテーションを組んで協力したのです。
 きっと、看護婦さんがたにとっては「使い勝手のよい付添い人」だったかも…(とほほ)。
 車椅子扱いも慣れ過ぎておりまして。
 まず、フロアの案内図を見て、一周して、使えそう、使う必要のあるとこをチェック、あるものないものチェック、をざっと終わらせて、後は…祖母の見張り…これが厳しかったです。

 「ここは警察か?警察病院か?」と何度聞かれたか。それは良いんですが、点滴をしているうちはそれを引き抜こうを手をやる、骨皮な細い腕でベッドの柵を引き抜き、「帰る」とごねる、昼も夜も「ダメジャーッ!!!!!!!」と止めに入る神経ピリピリな日々でした。

 それにしても、妹の挙式はせまる。式場にもよるのでしょうが最近は記念写真を「前撮り」といって挙式の前日か前々日あたりに撮っておくらしいのです。当日は妹は洋装でしたから、和装は「撮り」でした。で、式場は、妹が勤務していた会社の系列で、(妹は最初そこの衣装部に勤務していたので)今回の事情もスタッフの方がご存知だったのです。
 「車椅子も式場に用意してあるから、せめて前撮りだけでも見ては?」というご親切な申し出もあったそうで、それを思うと…切ない気持でした。結局、その日も家族は誰一人見に行ってやれませんでした。でも、挙式だけはすっぽかせません。

 その前日と挙式当日、ホントにつらかったのですが、祖母のことは病院側に無理をお願いしました。 そして、相手方の家には(相手には分からざるを得ませんでしたが)一切言わぬように、と妹にきつく口止めをしました。結局、妹の挙式の席で、祖母の入院を知っていたのは、入院時の保証人になってくれた伯父だけでした。

妹の挙式の日
 
 私も母も疲れきり、何をどうしたか、まるっきり覚えていません。

 元々、新郎新婦の家族は披露宴ではホスト・ホステス役を果たすのですから、
お客さまには笑顔でサービス、サービスなのは、一度でもご経験の方はご存知かと思います。

 その日の朝6:00、妹が…急に三つ指をついて、
「今までお世話になりました」と言って、両親と私をアワテさせてくれたこと。
 そして、披露宴の最後の花束贈呈のとき、
父が涙したこと、義弟がもらい泣きをしてしまったこと…。


 切れ切れに覚えてはいるんですが、後は、出席者の方々や式場側から
写真をいろいろ見せていただくまでは、本当に記憶にないんです。
 かつての上司・先輩であった式場スタッフの方々の心尽くしのお花の数々…
(本当に注文以上のものがテーブル上にも、妹のドレスの着付け、ブーケにもありました)
その一つを、叔母たちが祖母の病室に持っていってくれました。

 そして、その夜…

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