パニックの日
そしてこれからの予感
 「デートを断る」と妹は、彼氏の携帯に電話をかけました。
 あってはならないものの始末、掃除…そしてとにかく往診のお願いの電話。何がどう…なって、自分が何から片付けて良いか分からない、今思い出しても何からやってという細かい記憶が無いくらい慌しい時間…彼女には感謝していますが、それ以上に有難かった事があります。
 『彼』であった男性が助けに来てくれました。一年ほど後に妹は結納をし、今は義理の弟となった人でしたが、「丁度車で向かっているところなので、必要なものがあったら薬局に寄って買い物をして来る」と申し出てくれたのです。紙オムツなど最低限のものを持ってきてくれ、そのまま私の書いたメモを持って妹と買い出しに出てくれました。おかげで、医師の往診までに…ようやっと掃除・祖母の着替え等済ます事が出来、先生をお迎えした訳です。

祖母は「先生、私の妹が死んだのや…」とすがるように手を伸ばし、先生は子供をあやすかのように「何かあったらいつでも呼びなさい」と言ってくださいました。
 不眠で体力が落ちたところにウイルス性の風邪をひいたのだろう、という診断でした。「消化の良いものを食べさせて、ゆっくり休ませてあげなさい」
 祖母を寝かしつけたところで妹と彼が帰ってきてくれました。
 三人でデリバリーピザと焼きうどんを食べながら、これから始まる日々の予感である言葉のやり取りをしました。多分、これでますます衰えが増していくろうし、もう精神的に完全にK.O状態で身体もそれについて行くろう、と。
 その時の話の内容は、かなり克明に覚えています。彼は言いました。
 「俺の母は、舅姑である祖父・祖母を在宅で看取りましたから、こういう苦労はよく分かります。お姉さんがこれからしっかりしなくてはならないんですから」
(以来、作者が通院でどうしても家を空けなくてはならない時など、何かと助けに来てくれました)
 予感どおりでした。祖母の衰えに加速度がつき、ほんの一ヶ月かそこらのうちに在宅では難しい事が次々出てきました。そのため、デイケアでの通所入浴などでカバーしていこうと家族に持ちかけたのですが、思わぬ反発がありました。介護保険の施行がまだで、介護サービスを受けることへの権利意識がほとんど一般には存在しない頃でしたからなのですが、『在宅介護支援センター』(市が介護相談を民間の社会福祉法人に委託した場所)への相談すら大変でした。
 「お前がお祖母ちゃんの世話をするのが嫌だから、施設の世話になろうなんて言うんだろう!」と父に言われた言葉は、忘れられないものがあります。高い費用がかかるのだろう、と母にも責められました。一番、必要なこと、そして気持ちを理解して欲しい『家族』に言われたショックは…今もって拭えないものがあります。その時期、誰にも見られていない時間のほとんどを泣いて過ごしました。何かあったとき、一番支えになって欲しいのが「家族」であるはずと思っていただけにかなり立ち直りに時間を要しました。
 その時も妹と彼が結婚の準備中にも関わらず助け舟を出してくれました。
 「やはり介護はやってみないと実感として通じない、同じ家族でも直接に関与していないと分かりにくい、特に男性は理解しないと思う。早めに解決策を講じないと、家族の絆に亀裂を生じて、家族崩壊になりかねない…」経験者であるからこそ、危惧してくれたのでしょう。

Fonts:"Sirona"typOasis
(c)Asha's Graphics Garden 2000 All Rights Reserved