Day 6(Thursday, Oct. 7th, 2004)

"North by Northwest!"って僕は叫んだ!

- Cornish 第3日目 -

6時に起床して、洗面と荷物整理を済ませ朝食。これまで7時過ぎに起きてたけど、今日はVTのWhite River Jct.(WRJ)へ行き、Greyhoundの席を確保するために早起きした。13時発の#0126でOhio州(OH)Columbus(コロンバス)へ行くためには、Depot*1で遅くとも12時までにチケットを買う必要があったんだ。昨日同様8時半に朝食だが、1組(2名)去り3組(6名)到着して、ダイニングは2テーブル使われた。余裕がでたので写真を撮らせて貰う。メニューは基本的に同じだった。

    

10時45分にタクシーを呼んでおいたよってポール伝えてくれ、しかも当初の$110から$35へと安い会社に変更までしてくれていた。感謝感謝だ。それまでInnの周囲を散歩していた。日増しに木々の葉の色が黄色、赤色へと変わりつつあり、ニュー・イングランドの紅葉を体験できたのはラッキーだった。そうこうしていると南行きのVermonterが直ぐ近くを疾走して行った。Innの前庭の西側は、Day 4のイラストの通り、塀や側溝や歩道もなく州道12Aへ出られ、連続してAmtrakの単線の線路、そしてコネチカット川に続くのだが、州道と線路との間には、悪戯や危険防止用のフェンスとかもなく、映画に登場するヒッチ・ハイカー等のように飛び乗ることも可能なのだ。

    

最後にInnの内部をご紹介しましょう。米国の家庭もこんな感じなのだろうか?そんな風に名残惜しくInnをウロウロしていたら、予定通りにタクシーがやって来たので、僕は、ポールとテリーに挨拶した。たった2泊3日の滞在だったけど、とても暖かく親身につきあってくれた人達だ。同じ日本人でも途中で何も理由を言わずに帰ってしまったNYCでの彼女らが頭に浮かんだけど、やっぱり人種とか宗教とか国籍とか性別とかじゃあなくて、人間その人のパーソナリティの問題だなよなって思ったね。最後にポールとテリーとに握手&ハグして僕たちは別れた。砂塵を立てながら遠ざかるInnを見送った後に暫く呆然としてしまったのは、やっぱり人間は一人では生きられない、少なくとも僕はそう自覚したからだ。例え森で暮らすにしても、あんまり奥地は嫌だなって言う彼*2の心情をこの時本当に理解できたような気がした。

  

タクシーは快調に昨日通った12Aを北上して約30分の道のりを楽しませて貰い、11時半前にWRJに到着した。そこで記念の1枚となったのだが、実はこのドライバーの姉ちゃんは凄い映画オタクで、"Oh, come on, fellas, what is this, a joke or something?"(僕)、"Yes, a joke. We'll laugh in the car."(姉ちゃん)、なんて会話が成立したのには驚いた*3。駐車場にあった車のプレートを失礼した。VT(WRJは、NHではなくVTだ)のキャッチ・コピーは、「Green Mountain State」とそのまんまだった。

    

閑散としている待合室の一番奥にカウンターがあり、WRJからコロンバスへのチケットを$127*4で購入した。やたら長い(厚い)チケットで8枚連になっていたが、区間毎のチケットが束になっていたんだ。

  

ゲートと時間を確認したら、天気も良いので外で待つことにした。道路が幾つも走っており交通の要であることが伺い知れる。周囲には、McDや中国料理店(ここにもあった!)などの店もあり、郊外の小さなショッピング・センターって感じだ。

  

  

昼になったので、近くのガソリン・スタンドに併設されているSubwayでテイク・アウトした。6inのホワイト・ライ麦パンにハムや野菜を挟んだ奴とコーラで$4.75だった。

  

30分前にはバスが到着していた。先ずはこれでBoston(ボストン)を目指すが、この時間は直行便だった。乗客は若い女性から中年女性のグループ、御年寄り、ギターを抱えた若い兄ちゃんと様々な人々が10人くらい乗り込んだが余裕だった。

  

スケジュールはこんな感じ。2回の乗り換えとおよそ25時間を要し、何事もなければ明日の夜はコロンバスでのんびりしているだろう。


紅葉が綺麗だ。後ろの席に陣取ったおばちゃん連中は、発車してから1時間くらいはおしゃべりに夢中だったが、その後は静かになり(昼寝したようだ)、バスの中にはエンジン音とロード・ノイズだけが響いていた。グレイハウンドでは、ドライバーの自己紹介とか沿線案内とかがあるなんて聞いていたが、白人女性の運転手は何も言わず、日本の中・長距離路線バスのような感じだった。

    

2時間余りでボストンへ到着した。流石大都会で高層ビルが幾つも林立している。ちょうどMLBも大づめを迎えており、地元Red Sox(レッド・ソックス)を応援するためだろう、あるビルの最上階の窓には「GO SOX!」って張り紙がされていた。昨年同様今年もボストンは燃えている。<- 10月27日には、ワールド・シリーズでレッド・ソックスがSt. Louis Cardinals(セントルイス・カージナルス)に4連勝して、1918年以来86年ぶり6度目の優勝を果たしてしまったぞ!

    

予定通りにダウン・タウン南部にある大きなビルからなるターミナルの3階へ到着した。20ぐらいゲートがありそうな巨大ターミナルだ。

  

ここで「0126」から「4175」へ乗り換えた*5。17:00ちょうど発の「1855」や17:15発の「0277」もあり、それらなら当然にコロンバスへ早く到着できるのだが、折角の機会でもありボストンの市内観光をする目的で遅く出発するバスにした。目的地までのチケットを購入していても、それは本当に“自由席”であって時間や座席の指定ではないから、どのバスに乗ってもOKなのだ。市内観光するため、荷物を5階のCustomer Serviceに預けたが、時間に関係なく1個$4だった。

    

このビルは5階建てで、2階はSecurity、3階はShops & Terninal、4階はOffices、5階はParkingになっており、1階から外部へ出られる。

    

外部へ出たもののビルがあるだけで、ターミナルの前にしてはにぎやかな雰囲気ではない。この街でも駅前には中華街らしい一画があった。恐るべし中国。

    

時間が気になり遠くまで行く度胸がないから、ダウン・タウンを巡る代表的な観光ルートのFreedom Trail(フリーダム・トレイル:自由への路)を歩いた。独立戦争にまつわる史跡16ヶ所をつないだルートで、1958年に地元のジャーナリストWilliam Schofield(ウィリアム・スコフィールド)によって考案されたものだ。バス・ターミナルから北西へ1Km程離れているBoston Common(ボストン・コモン)から始まり、ビルが建ち並ぶダウン・タウンを通り、ショッピング・モールのQuincy Market(クィンシー・マーケット)、レストランが多いイタリア人街へと抜け、橋を越えたCharlestown(チャールズタウン)までの全長約4Km、所要時間は約3時間ってとこで、舗道に赤ペンキや赤レンガで示されているので観光客でも迷うことはない。先ずは、ビジター・センターから出発。

    

詳しくは、The Freedom Trail Foundationで紹介されているが、
   (a)Boston Common(ボストン・コモン):米国最古の公園
   (b)State House(マサチューセッツ州会議事堂):現在使われているMass庁舎
   (c)Park St. Church(パーク・ストリート教会):米国で初めて奴隷制度反対演説が行われた
   (d)Granary Burying Ground(グラナリー墓地):独立宣言に関わった英雄達の寝床
   (e)King's Chapel & King's Chapel Burying Ground(キングス・チャペルとキングス・チャペル墓地):ボストン初の英国国教会(有料)
   (f)Old City Hall & Site at Benjamin Franklin(ベンジャミン・フランクリンの立像):凧揚げで避雷針を発明した人で裏手には米国初の公立学校
   (g)Old Corner Book Store(オールド・コーナー書店):当時の著名な作家や文学者等が集まったサロン
   (h)Old South Meeting Place(オールド・サウス集会場):1773年12月16日のボストン茶会事件直前に決起集会が開かれた(有料)
   (i)Old State House(旧州会議事堂):現存するボストン最古の公共建築物でバルコニーから市民に向かって独立宣言書が読まれた(有料)
   (j)Boston Massacre Site(ボストン虐殺事件跡地):ボストン市民と英国軍が衝突してボストン茶会事件へ続く
   (k)Fanueil Hall(ファニュエル・ホール):ボストンの豪商が市に寄付した3階建ての赤レンガの建物
   (l)Paul Revere's House(ポール・リビアの家):ボストン最古の家(有料)
   (m)Old North Church(オールド・ノース教会):ボストン最古のキリスト教会
   (n)Copp's Hill Burying Ground(コップス・ヒル墓地):共同墓地
   (o)United States Ship Constitution(USSコンスティテゥーション号):海上にある世界最古の軍艦
   (p)Banker Hill Monument(バンカー・ヒル記念塔):独立戦争の記念碑
の順番に廻ったんだけど、(n)と(o)の間にはCharles River(チャールズ川)に架かるCharlestown Bridge(チャールズタウン橋)があり、時間がない人はここで帰るみたいで、(k)に近いQuincy Market(クィンシー・マーケット)でのショッピングが楽しくて、そこに留まってしまう人も多いらしい(笑)。


各史跡については他でも詳しく解説されているので省略。でも、チョットだけTipを提供すると、National Park Service Visitor Center(ナショナル・パーク・サービス・ビジター・センター)で『HIT THE TRAIL PASSPORT』って冊子を$2.95で買い、夫々の史跡に置いてあるスタンプを各ページに押して16個全部集めると「Congratulations! You've Hit The Trail!」の記念ステッカーが貰えるそうだ。やっぱりビジター・センターで情報を集めるのは役に立つ。

  

(h)と(i)の間にあるセンターで地図をゲット。記念のスタンプを押してみた。




ここは、クィンシー・マーケット(写真左)の右横にある案内所。

  

(k)から(l)へ向かう途中でいきなり歩道のラインが切れてしまった。辺りは再開発地区で道路とかも掘り返されており工事中なのだ。前方のフェンスに説明があり、更に進むとラインは復活した(ホッ)。

    

レストランなどが軒を連ねるちょっとヨーロッパ調の洒落たストリートになり、行交う人々もどこか週末のせいか楽しそうだ。そして難関のチャールズタウン橋へやって来た。ちゃんと歩行者用スペースはあるのだが、床が網目になっており下が透けて見えているのでちょっと怖い。かなり老朽化している雰囲気で一気に渡ると、またまたイタリアン(スペインでもいいが)な匂いの街になった。

    

走っているバスもおしゃれだ。ただ、周りの景観に合わせて舗道のラインも決めたようで、赤ペンキや赤レンガではなく、舗道のレンガと同じものを使っているから、ちょっと見難くなっていた。

    

チャールズタウン橋を渡って右手に進むとあるビジター・センター。歴史本とかも沢山あったり、当時の衣装なんかが展示してあった。

    

船が見えたので、やけに近代的なUSSコンスティテゥーション号だな〜って近寄ったら、現役の海軍の巡洋艦だった(笑)。真ん中の写真が本物のUSSコンスティテゥーション号(但し、復元だが)で、全長100mはあるようなかなり大きい船だった。ここのVisitor Informationのトイレは綺麗で空いているから穴場です。

    

愈々バンカー・ヒルだ。記念塔横のビジター・センターは、17時で閉まっていた。そのビジター・センター前がゴールだ。標準では3時間くらいのコースだそうだが1時間半で到着。

    

この記念塔は、どこかで見たような気がしたのだが、そう言えば、以前昇ったD.C.のWashington Monumentにそっくりなんだけどこっちの中は不明だった。どっちも形はエジプト文明のオベリスクを模しているんだろう。バンカー・ヒルからダウン・タウンを見下ろし、あんなところから歩いて来たのかと思ったら疲れてしまった。

    

帰路はタクシーに乗ろうかと思って歩き出したが、結局いなかったので同じ道を引き返した。途中にセブン・イレブンを発見。こっちは24時間営業ではなく、文字通り7時から23時までだった。

  

バス・ターミナルのすぐ東側にあるAmtrakなどが使うSouth Stationだ。威風堂々とした貫禄ある造りで、昔の上野駅のようだな〜って思ってしまった。その後、時間があったので、独立戦争のキッカケのBoston Tea Party(ボストン茶会事件)の舞台となった3隻のひとつBeaver II(ビーバー二世号)を見た。もちろん復元船だが、当時のように茶箱を海へ投げるアトラクションも体験できるそうだが、この時間は誰もいなかった。これでボストンともおさらばだが、Museum of Fine Arts, Boston(ボストン美術館)を観られなかったのが心残り。おまけに時節ネタをひとつ。因みにMAのキャッチ・コピーは、「The Sprit of America」だった。

    

こうして歩いてみると、ボストンは、こぢんまりとしたスペースに都市機能が上手く集約され、レンガ作りの古い建物も保存されている落ち着いた雰囲気の街で、それでいてハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、ボストン大学、タフツ大学、ウェルズリー大学など世界的に有名な大学が、隣のケンブリッジと共に60以上も点在していることから、学生や研究者らしい若者が多くて華やかな活気も感じられる、住みやすそうな感じだ。ただ、NYCに慣れてしまった身としては、街区が碁盤の目のように綺麗に区画されていない分、時々方向音痴になるきらいがあった。19時にターミナルへ戻り、バッグを受け取ってMcDで夕食となった。Big Macにポテト付きとオレンジ・ジュースのミドルで$5.34だった。

  

1時間前にゲートに並んだら、既に10人くらいが待っていた。結局、かなりの人数が集まったので、近郊行きの臨時便が増発され、全員が乗れることになった。僕の前は、Syracuseの大学へ向かう若い男の子で母親が心配そうにアドバイスしていたり、インデアン系のカップルが大きなバッグの上に腰掛けていたり、若い女性がペーパー・バックを一生懸命読んでいたり、人様々で日本と代わらない風景だった。15分くらい前から改札が始まり、ゲートの入口でチケットが3枚切られた。ところで、このゲートの写真を撮ったら、下に写っているMichael Jordan(マイケル・ジョーダン)のようなモギリのお兄ちゃんに「No!」って睨まれた(これで3回目だ)。


バッグを車体下部の荷物室へ預けたが、札のようなものは何も着けず、「どこへ行くんだ」って聞かれて「Cleveland(クリーブランド)だよ」って答えたら、奥のスペースへほおリ込まれてしまい、参考書と異なる扱いにちょっと不安になった。座席はほぼ満席となり、定刻に出発した。ドライバーは黒人男性だったが、タバコや酒はダメだよとか言ったきりで後は何も言わず、以降他のドラーバーも同様だった。室内は結構にぎやかで修学旅行のようだった。僕の隣はにやけた感じの若い男だったが、こいつがこれから大迷惑な奴だと分かるのだが後で話すとしよう。ここでもAmtrakと同じように実際の時刻と時刻表に記されている予定(カッコ)を比較できるように書いておく。時刻表では、Newton, MAに20:50着なのだが、最初に留まったのは、時刻表に載っていないRiversideで21:00だった。2人乗り込み直ぐに出発。


次に留まったのはWorcester, MAで21:45(21:40)だった。3人乗り込んで来た。


さて、ここで隣の問題児について書いておこう。この男、席に着くなり携帯電話を取り出して、この後延々2時間以上に渡り話し続けたのであった。それも英語ではなく、スペイン語とかポルトガル語のようなの訳の分からん言語で、一言一言が脳に突き刺さる如く気になって落ち着けなかった。日本では電車や新幹線やバスの中では控えるようなアナウンスが流れるが米国では一切なく多くの人が携帯を使っている。この辺は日本の方がいいような気がするが、本当に参った奴だった。


そして、バスは、クリーブランドを目指して漆黒の大地を100km/h以上のスピードで西へ西へと爆進するのだった。

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*1:大きな発着所は"Terminal"、小さな停留所は"Depot"って言われているんだ。これは電車なんかの"Terminal"と"Station"の区別に似ている。でも、ペン駅が"Terminal"ではなく"Station"なのは今でも謎だけどね。Train & Busについては、『地球の歩き方』編集室が出している『アメリカ鉄道とバスの旅』が現時点では唯一の参考書だと思うが、2000年8月刊なのでそろそろ改訂版が欲しいところだ。


*2:ホールディンだよ。3年前に、『ライ麦畑』第25章の"I'd build me a little cabin somewhere with the dough I made and live there for the rest of my life. I'd build it right near the woods, but not right in them,..."について、「彼はどうして森の「中」ではなく「すぐ近くで」暮らしたいと考えたのでしょうか?」って質問されたことがあり、その当時は、「中(in)」ではなく「すぐ近く(right near)」を望むのは、「陽がよくあたる」ためで、この「陽(sunny)」には、太陽からの物理的な光を指すだけではなく、世間の情報というか、衆人の視線なんかも含んでいるような気がする。(中略)そんな風に考えると、「すぐ近くで」暮らすことは、必ずしも「逃げ」とかではなく、困ったら「中」に入れる森という精神安定剤を用意はしつつ、誰かがやって来ることは拒まない、あるいは、自分の存在を見つけて欲しい、そんな気持ちの表れなんじゃないかな、って思いますね」なんて答えたっけ。

*3:Alfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)監督の代表作の一つ『NORTH BY NORTHWEST(北北西に針路をとれ)』に登場する有名な台詞。White River Jct.はInnの北北西に位置しているので、引っかけで振ってみたら、Paulも知っていた。広告会社の宣伝マンのCary Grant(ケーリー・グラント)がスパイ組織から敵のスパイと間違われ、ホテルのロビーから彼らの車へ連れ込まれてしまう時の台詞で、「これはどういうことだ。冗談か何かか?」「そうさ、冗談さ。車の中で笑いな」って感じだ。NYCロケを含めて1958年に製作され、公開は翌59年8月6日にラジオ・シティ・ミュージック・ホールだった。

*4:GreyhoundのeSaversで、片道$29〜$129のチケットを利用日の7日前までに購入する「Advance Purchase Fares(前売)」なら割引を受けられるので"Ticket Fare: $119 + Standard Mail Fee: $4 = Total: $123"なのだが、"U.S. addresses and credit cards only please."となっているので日本からは買えない。

*5:ここでVermont Transit Co, Inc.からGreyhound Lines, Inc.へスイッチする。Amtrakもそうだけど、地方に残っている小さい会社が連携して全米規模のネット・ワークを作っているんだ。だから使用機材もバラバラでデザインにも特徴があり、なかなか面白い。こんな風に異なる路線の乗り継ぎの場合、始点と終点だけで一括検索するよりも、始点と乗換地、乗換地と終点のようにインターバル検索した方が、一括検索には出ないスケジュールが表示されることもあり、ちょっとしたKnow-howなんだ。