Days 9&10(Sunday&Monday, Oct. 10th&11th, 2004)
"The Lip, telling yourself hotly"そう、言わなきゃあ分からない〜
- Columbus 第3日目 -
いよいよ米国最後の日になった。6時に起きて洗面を済ませ朝食を頂く。日曜の朝は家族全員で教会へ行くのが習慣だが、僕たち日本人には関係ない。しかし、TVをつけるとどこもかしこも各種宗教団体の番組でビックリした。更に驚かされたのはその内容(演出)だ。黙って説教を聞くのではなく、歌あり踊りありのドハデ・パフォーマンス・ショーなのだ。「神の教えはどこ行った?」と思えるくらいの“堕落”ぶりに思わず目を覆った(笑)。かなり前から教会へ行くのは少数派となっており、特に若者の教会離れは深刻なのだそうで、なんとか繋ぎ止める策としてメディアを使っているのだが、生半可な内容ではインパクトがなく、このようにショー化されたのだそうだ。Oh, My God! そう言えば、Hallowe’en(ハロウィーン)が近いので、玄関先にデコレーションを飾っている家庭も多かった。
ワイ氏にPort Columbus International Airport(CMH:コロンバス空港)まで送って貰う。ルーフに薄っすらと霜が降りている車が発車するまで奥さんとお嬢さんが見送ってくれた。空港までの道すがら、渡米の話をした時にすぐ一家で行くことを宣言した奥さんの話を初めて聞いてとても嬉しくなった。教育事情なんかを考えれば同僚家族のように単身赴任と言う選択もアリだけど、それより家族で一緒に過ごす時間を希望したそうで、自分もその方が子供にとって有意義だと考えたし、家族にとって必要だと思ったって話してくれたけど、僕もそれが正解だよって応えた。さっき玄関で見送ってくれた笑顔がそれを証明しているじゃあないか。今日の天気のように清清しい気分になった。空港への途中で同じレガシィB4を見つけたので記念に撮影したが、結局この1台だけだった。
空港4階の駐車場に到着して2階へ降りた。この空港は、州内のRickenbackerやBolton Fieldと共にColumbus Regional Airport Authority(CRAA)が管理している。今年は開港75周年と言うことで飾り付けがにぎやかだった。雰囲気としては日本の地方空港って感じのこぢんまりとした二層構造の建物で、1階はBaggage Claim Level(到着)、2階はTicketing Level(出発)に別れ、平面図を見ると「T」をひっくり返したような3つのConcourse A-Cにある各ゲートから搭乗するようになっていた。写真右の下に写っているのはホンダのバイクだが、OHがホンダの北米拠点であることをPRしている。
エントランスから見て10時の方向のConcourse B,Cの中間にあるAmerican Air(アメリカン航空)のカウンターでAA4160にチェック・インした。これはJALのJL5503ってコード・シェア便(他社機材運航便のこと、JALでは米国内発着JL5000番台)で出発前日本から予約していたんだ。なるべく提携している会社を利用するのが飛行機の移動では便利だね。この便を含めて帰国の便は予約時に確定した変更不可能タイプなのでReconfirmは不要。ED Cardの残り*1を渡して搭乗券を受け取った。


次にここへ来るのは仕事かなって思いながら空港へ入り時間を確認したら8時30分くらいだったのでワイ氏と共に情報収集しながら歩き回った。9時になったので出国審査へ進むと、ベルトや靴やジャケット全てを脱がされて金属探査を受け、更にバッグも開かされて一つ一つ説明しながら確認すると言う、噂に違わぬ厳戒態勢だった。まあ問題なく(当然だが)全て終了し、不安そうに見守ってくれていた遠くのワイ氏へ手を振ってゲートへ向かったが、振り向いて空港を出て行くワイ氏を見て、なんだか映画『SHANE(シェーン)』のラスト・シーン"Shane! Come Back!"が思い浮んだ*2。まだ時間があるので、空港内をウロウロしていた。
20分前にアナウンスがあり他の乗客と共に乗り込んだ。東京駅着の新幹線の折り返し運転のように、どこかからCMHへやって来た機材だったが、米国では飛行機ってのは日本の列車みたいな扱いなのだろうと納得した。日曜日の午前の便は、片側2列の中距離タイプでほぼ満席状態だったが、2人の客室乗務員がてきぱきと捌いていた。
9時55分*3に離陸して10時にChicagoのO'Hare International Airport(ORD:オヘア国際空港)へ着陸。フライト時間は5分だった、な〜んてハズはなく、ColumbusがEST、ChicagoがCSTなのでマイナス1時間の時差があり、65分ほどのフライトだった訳(Flight InformationのTravel Timeの通りさ)。西への移動は時間をセーブできるのでとても助かる*4。
到着したのはTerninal 3だったけどフラフラ歩いていたらTerninal 2へ入ってしまい、急いで中2階から空港内を循環している無料の高架エアポート移動システムAIRPORT TRANSIT SYSTEMS(ATS:通称People Mover)に乗り、JALなどが使っている国際線専用のTerminal 5へ移動する。ちなみに、ORDにはTerminal 4がないのは上のイラストの通り。

日曜日と言うことでとても混雑していた。それに輪をかけるかのように休日である月曜日着の日本行きは、カウンター前が大混乱状態で、まったくもってうんざりしてしまった。搭乗券をゲットするまでに20分かかった。
搭乗前に最後の土産を探すがアリキタリなものを購入。流石に引いているバッグには入らなくなりショップのビニール・バッグをそのまま持つことにしたが、なんだか凄い格好になっているような気がしたその時、背後から店員が"Good Luck!"ってとても澄んだ声をかけてくれたんで、僕は振り向きながらパブロフの犬みたいに"You too!"って応えたもんだ。そして、あと僅かな米国滞在だと思うと外の空気が吸いたくなり、気分転換を兼ねてバスや車が到着する入口の外に出てみた。
バッグの中を見られることなくCMHに比べれば遥かにラクチンな検査で通過して出国手続きはあっさり終わり、あと30分弱かとスケジュールを表示しているモニターを見ていたら、なんと遅れの表示が出ていたことに気が付いた(11:35->12:15)。台風22号により機材の到着が遅れているのだそうだが、まさか日本の台風の影響を米国で受けようとは思わなかった。
しょうがないのでブラブラしていたら、係員が新しい決まりだから指紋と顔写真を撮って下さいって声を掛けて来た。入国で済ませていたが、「機械を使ってアッと言う間ですから」と言うので付き合ってやった。二度目の入力だから何か表示されるのだろうかと興味あったがトラブルなく終了。こんなQRみたいなコード付きのレシートをくれた。
約1時間遅れでB744型JL009に乗り、12時50分にブリッジを離れて、13時15分テイク・オフ。飛行時間は12時間10分を予定しているとのアナウンスあり。機材もシート72Aも往復で全く同じなので勝手知ったるナントヤラだった。でも前後のシート間隔が一階よりも狭いようなので、次は最前列の71がいいかもと反省した。心の中で「Good-bye America!」と叫ぶ。
往きも帰りも同じ飛行機のなので探検するネタも尽きてしまい、暇な時間は食事かテレビを見ていたが(時差ボケ対策として眠らないようにしていた)、飛行経路を表示するプログラムが一番面白かった。日付変更線を越えたのは21時頃だった。

飛び立つといつものようにスーパー・ドライを飲み、昼食は牛丼とビーフ・シチューから後者を選択し、7時間くらい経過してサンド・ウィッチのようなパンが配られ、23時30分(到着2時間前くらい)にスパゲティーが出たけど、毎回感じるのは、往きとは異なるメニューにするって効果あるんだろうかってことだ。
出国は10月10日だったけど、日付変更線を東から西へ横切ったのでNRTに着陸したら11日になっちゃっていて、アナウンスの通りで15時20分にタッチ・ダウン。降りる際に中国人の若い女性の客室乗務員に"Good Luck!"って言ったら"Good Luck, too!"って笑ってくれたね。米国人は、普段「さようなら」に"Good-bye"を使わない。「おはよう」や「こんにちは」や「こんばんは」だってみんな"Hi"で済ましちゃうしね。そう言うものなんだ。でも"Good Luck!"って言われると本当にナニカ幸運がやって来そうで嬉しくなってしまうじゃあないか。到着後に2階席の後方を撮った。ちなみに2階席ってのは、「JAL」のロゴの上の窓の処だ。
そこで唐突だけど、言葉に出さなくちゃあダメなんだ、って感慨を抱いたんだ。人間は唯一言語を介して意思疎通を図れる動物だから内に秘めるだけじゃあ何の価値もない、やっぱり外へ表さなければ意味ないんだって。Day 6での思いも含めてこの旅を通して気が付いたのは、思考の結果得られた結論で言うべきものはきちんと伝えなきゃあ始まらない。社会風土文化が大きく異なる米国人(外国人)に対してだからじゃあなくて、価値観が近い日本人相手だって、以心伝心ってもんがあるにしてもそれに頼っちゃあいけないってことかな。書を読むこと、読んで考えること、考えを書き留めること、これらの繰り返しと行動すること。そして、「唇よ、熱く君を、明日を語れ」*5と言おうじゃあないか。遠い世界へ旅に出ようと思い立ちやって来た米国からの帰路の終わりになって、もしかしたら足りなかったものはそんな遙か彼方にある訳ではなく、直ぐ身近な、心の中の問題なんじゃあないかって思ったね。でも、それが何だかは、到着した日本の空模様のようにまだクリヤになっていない。
特に申告するものもないのであっさり入国審査をパスした。10日ぶりの日本には大きな感慨も感じなかったけど日本人の多さにはビックリした。月曜日なんだけど「体育の日」のHappy Mondayで連休最終日だったせいか、どの駅もごった返していた。米国では滞在したNYCとかColumbusだけでなく、ちょこっと立ち寄ったBostonやClevelandやChicagoでさえそれなりに大きな街なら色んな人種の人達を見かけたけど、日本は日本人ばかりでなんだか違和感を覚えてしまったのは、時差呆けならぬ人種呆けだろうか。あとは来る時と反対のルートな訳だが、グリーン指定しか取れなくて最後が最もリッチな気分だったね(笑)。20時頃に帰宅して、そんなことを思いながら畳の上に寝ころがってTVを見ていたらグッスリ眠ってしまった*6。
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*1:数年前にやはりORDで出国手続きをしていた時に、この半券が見つからず往生したことがあった。パスポートに挟んでいたつもりがなくて、手持ちのバッグにも見当たらず、結局トランクを開けたら雑誌の中に紛れていたのを発見して事なきを得たのだが、もし見つからなかったら出国はできるけどブラック・リストに登録されて次回の入国が非常に難しくなるそうだ(係のお姉ちゃんの話)。
*2:ここを読んで雰囲気を分かってくれた(あるいは、Day 6での別れのシーンで想像した)貴方は、いい歳(失礼)か、かなりの映画好きのどっちかだと思う。そう言えば、昨年(2003年)、石原慎太郎東京都知事は、阪神の星野仙一監督(当時)が日本シリーズ後に勇退する意向を固めたことについて、「かっこいいね、仙ちゃんは。シェーンみたいだね」と話したのを想い出したけど、前者だろう。
*3:1999年秋に ANAでNRTからORDへ行く時なんか、貨物室の空調がトラブって6時間以上待たされたけど、誰も金返せなんて言わなかったなぁ〜。今回、出発の数日前にJALから電話で「JL5503の出発時刻が9:50から9:52へ変更になりました」って真面目に言われたのには笑ってしまった。
*4:もちろん、日付変更線を越えないって条件があることは言うまでもないよね。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。米国を飛行機で移動する場合にはアメリカ国内飛行距離計算マシーンが便利で、Day 1で話したJMBのマイレージ計算にちょくちょく使わせて貰っている。Thanx!
*5:渡辺真知子さん、ありがとう。灯台下暗しでした。
*6:Day 1と反対に、西への移動は眠らないのが時差呆け防止策だが、疲労蓄積は限界だったようでしっかり熟睡してしまった(笑)。8月に新聞で、産業技術総合研究所の石田直理雄氏のグループが、「食事の刺激が体内の時計を動かして、行動にも影響を与えているようだ。時差ボケを治すには移動先の時刻に合わせた食事が役立つという説があり、それを裏付けるような結果になった」と言う記事を読んだ。体の組織には、働き方が24時間周期で変わる遺伝子があり、それらが狂った時、食事にリズムを整える働きがあるのだそうだ。やっぱり食事は重要なんだね。