明けましておめでとうございます。

穏やかなお正月をお迎えのことと思います。今年は雪が多くご苦労なことも多いかもそしれませんが、今年もよろしくお願い申し上げます。

正月はおめでとう おめでとうと、言いますが、年が替わっただけで、本当におめでたいのか、と考えるわけであります。
一茶の句に「めでたさも、中くらいなり、おらが春」というのがあります。
また、一休さんの句には「正月は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」というのがあります。正月はめでたい めでたいというても、正月になればまた年を一つとって、死ぬ時期に近ずくことになるだけじゃないか。この無常の世の中をしっかり心得るということが大事なことでないかと思うことであります。
無常というのは、無常だから悲しむとか、無常だから涙を流すとかいうのでなく、無常なるがゆえに今日一日一日が尊い、今というこの時が尊いと曾我量深師がおっしゃっておられますが、そのとおりだろうと思います。そのことをしっかり学んでいかなければならないと思います。

さて、私事でありますが、私は今月8日に、うち孫が誕生しまして、わたしの家は4世代3夫婦がそろうこととなりました。3夫婦が健在ということは、まことにありがたいことだなあと、つくづく思うことであります。
橋ができたら、渡り初めしたいんですが、この前、市役所の方に、新しくできる橋がないかと聞きましたら、ないと言われてしまいました。残念なのですけど。
うち孫ができまして、その孫に名前を付けなければならんわけでありますが、その孫に、私がなまえを付けてやるからと、息子に言いましたら、じいさんはいらんこと考えるな、と叱られてしまいました。最近の若い人のつける名前は全く理解不能なことが多く、いろいろなわけのわからない名前が多く、学校の先生も困ってしまうだろうと心配してしまいます。

さて、正月というと年賀状ということになりますが、皆さんも年賀状は書かれると思いますが、この時期になると思いだすことがあります。
数年ほど前のことでありますが、12月31日の日に、私の寺のご門徒さんのあるお家のお父さんが亡くなられました。そのお父さんは40代後半の健康な人で、その日まで仕事をされておられた方でありました。
その日も、大みそかということで仕事をされ、お昼頃に仕事が終わって、家に帰ってこられ、まずお風呂には入られたということです。その時家には、そのお父さんしかおられず、お父さんは、そのお風呂で病気がでてしまって、亡くなってしまわれました。 
そうするとお葬式は、元旦は火葬場が休みなので、元旦にお通夜をして、2日の日に、お葬式をしました。そうすると元旦には、みなさま方も年賀状をもらわれますが、その家にも年賀状が配達されるわけです。その年賀状の中に、昨日亡くなられたそのお父さんからの年賀状が、家族全員に届きました。
ひとりずつに宛てた、丁寧な手書きの、お父さんの思いをありったけ書いた年賀状です。その年賀状を、私は49日法要が終わった時に、見せてもらいました。そのお父さんは、毎年家族にも自筆の年賀状を出しておられたのです。
その家は夫婦と子供3人。当時、中学生2人と高校生1人だったように思います。
たとえば子供さんあての年賀状にはこんなことが書かれていました。
「何々君や、去年は君にもいろんなことがあったね。よくそれをよく乗り越えて頑張ってこられたね。立派だったよ。今年もきっといろいろなことが起こると思う。つらいことも難儀なこともたくさんあると思う。お父さんはいつも何々君の味方だから、それをわすれないでね。」
本当にやさしいことばで書いてありました。ご自分のご両親、奥さんのご両親にあてても書いておられました。こんな言葉を聞いた子どもさんは、曲がってみようがありません。これを聞いた家族はお父さんありがとうございましたと言うしかありません。どうでしょうか、みなさんのお父さんも、御主人もこんな年賀状を出しておられますか。
儀礼的な年賀状をパソコンでつくって、プリンターで印刷して、宛名シールを張った年賀状なら、1時間もあれば何百枚でもつくれますが、こんな手書きの、家族あてに、自分の思いを、ありったけ書いた年賀状なんてとても書けません。
こんなやさしいお父さん、家族思いのお父さんが、こんなに早く、若く亡くなってしまうなんて、この世界はなんと厳しい世界なんだと思わされました。
 
さて私たちも仏様からの年賀状をしっかり受け取りたいものです。仏様からの年賀状は「なまんだぶつ」の、お念仏の年賀状でしょう。
帰命無量寿如来、 南無不可思議光、の正信偈(しょうしんげ)こそが仏様からの年賀状でしょう。今年もしっかり仏様からの年賀状を受け取り、仏法聴聞に励みたいものであります。

年頭にあたりましてごあいさつを申しあげました。本年もよろしくお願い申し上げます。
2010年元旦                     万休寺 住職